※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 8杯目』の一部を再編集したものです。
医療は寛大な心や優しさが必要。覚悟は全くなかった
多くの人間は、高校卒業する18才のとき一つの分岐点に立つ。就職、進学、あるいはどの学部に進むのか。この選択が時に一生を左右する――。
鳥取大学医学部附属病院の放射線部、山下栄二郎が、大阪大学医療技術短期大学部、診療放射線学科を選んだのは、軽い気持ちだった。
「就職するならば技術者みたいなイメージがありました。技術者になりたいというよりも、仕事ってそういうものだと思っていました。理系コースにいたし、オーディオが好きで、電気系の学科に行くつもりでした。受験雑誌をめくっていたとき放射線学科に目が留まったんですね」
原子力発電には未来があるとどこかで耳にしたこともあった。放射線を学んでおけば、電気系の技術者になる助けになるだろうと思ったのだ。
ところが入学してみると事情は違っていた。
「もちろん放射線のことも学ぶんですが、医療の授業もある。解剖とか生物学とか全くついて行けないわけです。(医療に関する)漢字も難しい。ぼくは(短期大学卒業後の)一つの選択肢が放射線技師だと思い込んでいました。
ところが、この学校を出ると、ほぼほぼ放射線技師になるんですね。医療というのは寛大な心や優しさが必要。果たして自分にそんなことができるのか、自信がなかった。生身の人間を相手にするイメージがなかった。医療人になる覚悟は全くなかった」
入学当初は、好成績を残して4年制大学に編入、他の道を模索することも考えていた。
「でも、ぼくはサボり癖というか怠け癖がある。3年間ずるずる、なんとなく過ごしたので、とても編入なんてできる成績ではなかった。そして卒業後、民間病院に就職しました。(就職先を)選べるほど優秀ではなかった。採用して頂いたことを感謝しないといけないぐらい」