「自分には怠け癖があり、放射線技師を辞めることばかり考えていた」。鳥取大学医学部附属病院の放射線部で技師長を務める山下栄二郎氏はそう振り返る。しかし、ある出会いをきっかけに医療にのめり込むことになる――。

※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 8杯目』の一部を再編集したものです。

医療は寛大な心や優しさが必要。覚悟は全くなかった

山下栄二郎氏
撮影=中村治
山下栄二郎(やました えいじろう)/大阪大学医療技術短期大学部卒業、鈴鹿医療科学大学保健衛生学部科目等履修生、修了。2011年鳥取大学大学院医学系研究科博士課程医学専攻修了。19年鳥取大学病院診療放射線技師長。21年より診療支援技術部長併任。

多くの人間は、高校卒業する18才のとき一つの分岐点に立つ。就職、進学、あるいはどの学部に進むのか。この選択が時に一生を左右する――。

鳥取大学医学部附属病院の放射線部、山下栄二郎が、大阪大学医療技術短期大学部、診療放射線学科を選んだのは、軽い気持ちだった。

「就職するならば技術者みたいなイメージがありました。技術者になりたいというよりも、仕事ってそういうものだと思っていました。理系コースにいたし、オーディオが好きで、電気系の学科に行くつもりでした。受験雑誌をめくっていたとき放射線学科に目が留まったんですね」

原子力発電には未来があるとどこかで耳にしたこともあった。放射線を学んでおけば、電気系の技術者になる助けになるだろうと思ったのだ。

ところが入学してみると事情は違っていた。

「もちろん放射線のことも学ぶんですが、医療の授業もある。解剖とか生物学とか全くついて行けないわけです。(医療に関する)漢字も難しい。ぼくは(短期大学卒業後の)一つの選択肢が放射線技師だと思い込んでいました。

ところが、この学校を出ると、ほぼほぼ放射線技師になるんですね。医療というのは寛大な心や優しさが必要。果たして自分にそんなことができるのか、自信がなかった。生身の人間を相手にするイメージがなかった。医療人になる覚悟は全くなかった」

入学当初は、好成績を残して4年制大学に編入、他の道を模索することも考えていた。

「でも、ぼくはサボり癖というか怠け癖がある。3年間ずるずる、なんとなく過ごしたので、とても編入なんてできる成績ではなかった。そして卒業後、民間病院に就職しました。(就職先を)選べるほど優秀ではなかった。採用して頂いたことを感謝しないといけないぐらい」