「窮屈な世の中になった」と嘆く人の残念なセンス
男性学では、男性は「達成」または「逸脱」で男らしさを示そうとするとされています。河村市長の場合は、市長という高い地位を達成した人が、金メダルを噛むという逸脱行為をしたわけです。
逸脱とは一般常識やルールを破る行為を指します。昔はそうしたことを「おふざけ」として許したり面白がったりする風潮もありましたが、今は違います。特に、差別的な行為や相手の尊厳を傷つけるような行為に対しては、今はもう笑いは起きません。
「昔はおおらかだったのに今は窮屈だ」などと言う人もいますが、時代が変われば社会の共通認識も変わって当たり前。その人のセンスが時代遅れなだけではないかと思います。
「言い方を間違えた」という言葉がでる理由
もう1点、こうしたおじさんたちに共通しているのは、コミュニケーションの捉え方が間違っているということです。自分が相手に対して話せばそれで成り立つ、一方的なものだと思い込んでいるのです。ここには、「自分の言動を相手がどう思うか」という視点が決定的に欠けています。
本来、コミュニケーションは双方向のものですから、相手の考えを無視していては成り立ちません。ところが彼らは、相手が自分に反論してくるなど想像すらしていないのです。これは、相手を自分より格下だと思っている場合に特に顕著です。
だからこそ、非難されると「悪気はなかった」「言い方を間違えた」と、謝罪でも反省でもない言葉が出てくるのだと思います。もちろん人間ですから失言することもあるでしょうが、受け手側が感じたことは素直に受け止め、反省して自分を変える努力をしてほしいものです。
こうしたおじさんたちは、河本市長や張本さんが叩かれているのを見てどう思うのでしょうか。自分も同じことをしていると気づき、彼らを反面教師として変わっていこうとするのでしょうか。