「君といるのは楽しいよ」は程度の差こそあれ事実。嘘ではない。「好き」と言ったら、次に「じゃあ、付き合ってよ」となるかもしれないが、そのラインは越えてほしくない。そこで論点を滑らかにすり替えて相手に“それとなく”答えたような格好をする。尋ねた側も「楽しい」と言われたら悪い気はしない。「何が楽しいの」とさらに聞きたくなる。このように論点を変えてくれれば回答する側は窮地を一時的に回避できる――。
卑近な例となってしまったが、このような守りのロジックを極めているのが霞が関官僚たちである。官僚たちは、首相や大臣が記者会見や国会答弁で使用する原稿を準備する。そこには、このテクニックを徹底的に仕込むのである。
業界では「すれ違い答弁」という言葉があるほどで、巧妙にすれ違う美学を大事にしている官僚も多い。特に、突かれたくないポイントを突かれているときに多用される。
都合の悪い質問はかわし、正面から答えない
「霞が関文学」が多用される答弁書では、都合の悪い質問にはその質問にかする論点で、プラスで答えられるものを探す。「はい/いいえ」で聞かれても、決してそうは答えないのが鉄則だ。
基本的な回答のセットは、総論的に状況認識を繰り返し、状況は分かっている感を出す。次に自分の答えられるポイントに持っていけるフックを入れておく。自分の答えられるフィールドに来たら、そこを最大限アピールする。その材料はたいてい、冒頭記者会見で述べた内容が繰り返される。
結びにもお決まりの定型がある。全体的に“頑張る姿勢”を示す。キーワードは「いずれにせよ」「全力で」「しっかり」「緊密に」「連携をしながら」「やっていきたい」であり、結果としておなじみのフレーズが多用されることになる。
さて、この技法をお伝えした上で今回の事案を見ていきたい。
初めに、総論として自分が全力でやってきたことに言及する。なぜなら、全力でやっているというのは、そのニュアンスだけ見ればポジティブであり、そして、全力でやったかどうかは否定しようがない。これによって「責任」や「評価」についての質問の論点をずらしながら、答えた感を出すのだ。
説明よりも、政策のアピールに重点
その中で、ワクチン接種であればアピールしたい数字がある。まだ答えられる。なんとかワクチンのフィールドまでもっていきたいという思考が働く。その時に最初のくだりが効いてくる。全力でやった内容は何かという説明をする中で再びワクチンの話題にもっていくのだ。
ただ、ここですれ違いが起きる。記者の質問は「ワクチンの現状」ではないからだ。コロナ対策全般や状況が改善していない理由、なぜワクチン一本足打法なのか、ということを聞いてもそこには答えず「全力でやっている」という説明に必ずなる。
なぜか。質問に対していい回答ができない、あるいは答えたとしても言い訳と捉えられてしまう恐れがあると答弁を書く官僚側が分かっているからだ。したがって、この種の問いは何を聞いても、何回聞いても「ですから、ワクチンについて全力でやっている」となる。