「文春砲の生みの親」として知られる新谷学さん(現・『文藝春秋』編集長)は、『週刊文春』編集長として数々のスクープを放ってきた。どんな相手にも追及の手を緩めない新谷さんだが、編集部員にはたった一つだけ「絶対にやめろ」と指示していたことがあるという――。(聞き手・構成=ノンフィクションライター・中村計)(前編/全2回)
インタビューに応じる前週刊文春編集局長、「文藝春秋」編集長の新谷学さん
撮影=門間新弥
インタビューに応じる前『週刊文春』編集局長、『文藝春秋』編集長の新谷学さん

「巨悪を討つ」みたいな意識はない

——新著『獲る・守る・稼ぐ 週刊文春「危機突破」リーダー論』(光文社)と併せて、『2016年の週刊文春』(柳澤健著、光文社)も読みました。そこで、いちばん感銘を受けたといいますか、共感を覚えたのは、新谷さんの口から「ジャーナリズムとして」や「ジャーナリストとして」という文言が一切、出てこないところでした。

【新谷】嫌いなんですよ、「ジャーナリズムとは」みたいなの。かみしもを着て、大上段から「言論の自由だ」ということを言ってみたりするのも嫌いです。雑誌メディアの役割は、何よりも読者に、おもしろがっていただくことが基本だと思っているので。だから、本来、「文春砲」と言われるのも本意ではないんです。巨悪を討つ、みたいな意識はないので。

——ドキュメンタリードラマ『直撃せよ!~2016年の文春砲の裏側』(ドワンゴ制作)では、週刊文春の記者が取材の舞台裏を証言しているシーンの音源がたびたび流れます。みなさん、深刻な感じではないんですね。誤解を恐れずに言えば、生き生きしている。

【新谷】『文春』らしいですよね。神妙な、辛気臭い感じはない。企画をスタートさせるときも、正しいことよりも、おもしろいと感じるものに素直に従いたいんです。おもしろいことって、本能というか、嗅覚で分かる。

でも、何が正しいかは分からないじゃないですか。ある程度までは判断できるかもしれませんが、そもそも、これは正しいと信じ込むことは危険を孕んでいると思うんです。世の中を正すんだみたいな意識は、変な方向に行きかねない。正義が何かなんて、歴史上、立場によってころころ変わってきたわけですから。

「トドメは刺すなよ」といつも言っている

——私も、思わず、芸能人のスキャンダル記事を雑誌発売前にネットで課金してまで読んでしまうことがあります。そんなときは「ああ、自分も高尚とは程遠い、下世話な人間なんだな」と思います。

【新谷】落語家の立川談志さんのセリフではないですけど、人間の業を否定するのではなく、肯定したいんですよね。人間って、愚かだけど、でも、だからこそ愛らしい。誤解されがちなんですけど、芸能人が不倫をしたからといって、われわれがそれを断罪するつもりはないんですよ。芸能活動をやめろ、とか。