犬ゾリの犬を食べて飢えをしのぐ

シャクルトンの探検隊――というよりも氷盤まかせの漂流隊はもう何カ月も漂う氷盤の上のテントで再び何もやることのない慢性的な食料不足の日々にあえいでいた。目ぼしい食料在庫はどんどんなくなっていく。アデリーペンギンから得た脂肪分も残り少ない。小麦粉も残りわずかなので、犬用のペミカンにバノック(無発酵パン)を名残り惜しそうにチビチビまぜて食べていた。

どうやらついにソリを曳いてきた犬の肉を食べることになりそうだった。その前に犬の餌用にとりおいたくず肉の中から食べられそうなものを取り出した。いいつけられた隊員は臭いが強すぎてどうしても食べられないものを除き、残りはどんどん取り出した。でも近いうちにアザラシを仕留められないと、このクズ肉を生で食べることになりそうだ。と日記に書いている。

雪の中の犬ぞり
写真=iStock.com/RelaxFoto.de
※写真はイメージです

付近にそびえる氷山が不安定な海流の影響を受けて氷盤全体の崩壊に拍車をかけていた。氷盤が割れてしばらくした日、霧のなかから奇妙な物体があらわれた。隊員が狙いをつけてライフルを発射すると全長11フィート(約3.3メートル)のヒョウアザラシが一発の弾丸で倒れていた。突然1000ポンド(約454キロ)の肉が手に入ったのだ。解体作業を進めていると胃のなかから消化されていない魚が50匹近くも出てきた。

シャクルトンはそのあと犬を射殺するよう命じた。彼らにとってもう犬は必要ない存在になっていたのだ。子犬を含む全ての犬がこの日射殺され、その肉は食用に処理された。

キャンプは2週間ぶりに温かい食事を食べられることになった。ヒョウアザラシの肉よりも犬たちの肉のほうがおいしいし贅沢だ、と隊員たちは評価した。

アザラシとペンギンのチキンスープを激賞

この日を契機にヒョウアザラシがまた捕獲され、キャンプはすっかり明るい空気に包まれた。

シャクルトンの一行はやがてほどよい開氷部からここまで牽引してきたボートで内海に出た。漂流の旅は忍耐のかいあって再び前進を開始したのだ。

シャクルトンと数人の隊員はいよいよ救助を求めるために海洋を進んだのだ。この漂流記はそのあらゆる展開が波瀾はらんに富んでいて凄まじい経緯をたどるのだがシャクルトン以下隊員らの活躍が見事で、北極および南極探検史のなかでももっとも引きつけられる内容に満ちている。

ここでは、漂流者の食べてきたもの、というところにテーマを絞っているので、本来なら欠かせないそういう探検の内容については殆ど触れられないのがもどかしいのだがそのへんはシャクルトンの本文を読んでもらうしかない。

椎名誠『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)
椎名誠『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)

やがてシャクルトンは隊員の誰をも失わずにエレファント島にたどりつく。甲板のない船を疲弊しきった者たちが荒波にむかって漕ぎ続けた結果、彼らは思いがけない勝利のしるしとして陸地に立っていた。

アザラシはいくらでもいたが、そこでも200羽ほどいたペンギンをみつけそのうち77羽をとらえた。すぐにアザラシやペンギンの皮をはいでいく。氷点下の野外で凍傷になっている手でのそういう作業は苦しかった、と記述にある。

それらは温かいスープになった。「こんなにうまい肉汁つきのチキンスープはこれまでお目にかかったことがない」と隊員らは激賞した。

筆者はとらえたばかりのアザラシを素手で処理するロシアのユピック族と半日ほどすごしていたことがある。アザラシは哺乳類だから捕らえてすぐあとはまだ体温があり、凍傷の手にここちいいのだ、とユピックは話していた。

シャクルトンと数名の隊員は休むこともなくサウスジョージア島を目指した。エレファント島に残る22人はそこでひたすらシャクルトンらを待っているしかなかった。そして残された多くの隊員たちはシャクルトンが無事に救援をつれて帰ってくるとは信じていなかった。

エレファント島のそのあたりでは海からカサガイがとれた。それはスープのいい材料になる。料理担当者は隊員らが好きなアザラシの骨つき肉のシチューを作っていた。

そのとき食事の合図から一番遅れた隊員の1人が、沖から船が1艘やってくるのを知らせた。シャクルトンが迎えの船で帰ってきたのだった。

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