菅首相に国家観も歴史観もあるとは思えない
安倍前首相は、何か問題が起きると、「国民の皆さまに丁寧に説明する」といいながら、一度たりともそれを実行したことはない。
菅首相に至っては、説明する言葉さえ持っていると思えないほどの”ボキャ貧”である。 コロナが感染拡大する中、多くの国民が東京五輪を中止か延期せよと訴えていたのに耳を貸さず、開催を強行した。菅総理が「なぜこの時期に開催するのか」と問われて繰り返したのは、「安全・安心な開催」という空虚な言葉だけだった。
無駄だから誰も聞かないのだろうが、菅首相に国家観も歴史観もあるとは思えない。
安倍政権時代に悪化した中国、韓国との関係を、正常化しようという動きも意欲もなさそうだ。菅は、首相でいることにしか意味を見出していない。そう思わざるを得ない。
戦後最大の国難に戦後最悪の首相でいいはずはない
そんな菅を、安倍や麻生太郎は総裁選で支持するという話が流れている。
キングメーカー気取りで、いう通りに動く人間なら誰でもいいのだろうが、戦後最大の国難といわれるコロナ感染が広がる中、戦後最悪の首相でいいはずはない。
今や「自由世界のリーダー」といわれるドイツのメルケル首相は、決して独断専行せず、何時間でも議論を重ねて問題の所在を冷静に分析し、解を見つけ出してから国民に丁寧に話をする。
失敗すれば謝る。そうしたことを積み重ねてきたから、自国民だけではなく、世界の首脳たちからの信頼も勝ち得たのであろう。メルケルと菅首相を同列に論じるのは彼女に失礼だろうが、この彼我の差は果てしなく大きい。
さらに21世紀に入ってからの首相たちの劣化は、メディアの劣化と相関関係にある。
国民が考え、行動し、変革するしかない
昨今の首相会見を聞いていて腹の立たないことは一度としてない。会見は首相が一方的に話す場ではない。国民の不安や疑問を代わりに問いただすのが記者の役割である。
だが、会見を聞いていて、よくいってくれた、それが聞きたかったんだと手を打つことなどない。
きつい質問をしたからといって、北朝鮮やミャンマーのように軍に撃ち殺されたり、監獄に押し込められたりするわけではないのに、何に怯えているのか。
愚にもつかない質問や、菅に追従しているとしか思えない質問でお茶を濁し、広報官に「これにて終わり」と告げられるとすごすごと引き揚げていく。
この記者にしてこの首相ありである。何とも救いようのない話だが、この状況を変えるには、国民の真っ当な怒りしかないこというまでもない。
政治を永田町で蠢いている政治屋だけに任しておいていいはずはない。菅首相に象徴されるように、ほとんどの彼ら彼女たちが考えているのは「自分の利益」以外の何物でもない。
われわれが生活している「現場」で一人一人が考え、行動し、変革していくことでしか政治を変え、この国を変えていく道はない。(文中敬称略)