"国民に政治を諦めさせた"安倍政権
約束を守らない、ウソと分かっても謝らない、仮想敵を作り出して二者択一を迫るなど、小泉的政治手法を受け継いだのが安倍晋三首相であった。
第2次政権からは国会軽視どころか、自らが招いた数々の疑惑を追及されると、論点をそらして答えないだけではなく、平気で嘘をつく、証拠を改竄させることまでやるようになった。
日本を戦争ができる国へと変容させ、アベノミクスの化けの皮が剥がれそうになると、株価を支えるために国民が払っている年金積立金まで投入した。
官邸が官僚の人事権を掌握するなどの「私物化政権」を8年近くの長きにわたって続けたことは、これから100年後も燦然と輝く悪の金字塔といってもいいのではないか。
"国民に政治を諦めさせた"安倍政権も昨年9月、自らの病の悪化で突然終止符が打たれた。
“悪夢”とも思える安倍政権を官房長官として支え、一心同体で都合の悪いことを隠蔽してきた菅義偉に、期待できるものは何もなかったはずだった。
だが、安倍政治に倦んでいた国民は、少なくとも安倍よりはいいのではないかという“幻想”を抱いてしまった。
それが裏切られるのに時間はかからなかった。
長男の接待スキャンダルにコロナ対策の不手際…
自分の長男のスキャンダルや菅の金城湯池である総務省官僚たちの接待疑惑が噴出し、批判にさらされた。
戦後最大の国難といってもいい新型コロナウイルスの蔓延に対して、安倍もひどかったが、それ以上に対応を誤り、医療体制の崩壊を招き、ワクチン供給も間に合わず、無為・無策・無能であることを満天下に晒し続けている。
小泉以前に挙げた歴代首相のうち竹下を除いて、その中味の良し悪しは別にして、彼らなりの「国家観」を持ち、折に触れ語っていた。
竹下でさえも明瞭な言葉で国民に語りかけた。だが、森、小泉以後は、国民に丁寧に説明して理解してもらおうということさえもしなくなった。
経営の神様といわれるピーター・ドラッカーの「リーダーは、人として信頼を得ることを何より大切にせよ」という言葉を持ち出すまでもないだろう。政は国民の信頼なくして成り立つわけはない。
だが、小泉以降、国民の信頼を得る努力をせず、リーダーシップも説得するための言葉も持たないのに、「知らしむべからず、由らしむべし」と独断専行する首相が増えてきたと思うのは、私ばかりではないはずだ。