注意を分散しすぎると心をコントロールできなくなる

では、注意が色々な方に向かってしまうことがなぜいけないのでしょうか。確かに、物思いにふけってしまって「時間を無駄にしてしまったな」と感じることはあるかもしれませんが、そこまで大きな問題のようには見えません。

しかしこの心ここにあらずの状態が頻繁に起こることで、未来や過去など頭の中で考えている世界に心を支配されがちになり、自分の「注意という名の矢印」をうまくコントロールできなくなってしまうのです。つまり、矢印の手綱を引く「主」がいなくなってしまうということです。

自分の注意を自分でコントロールできなくなるはずはない。自分の注意も心も、自分自身の一部なのだから、自由にコントロールできるのが普通なんじゃないの? という声が聞こえてきそうです。しかし私たちは思っている以上に、自分の心や意識をうまくコントロールすることができないものです。

わかりやすい例が「感情」です。「イライラしたくて、イライラしている」という人はまずいないでしょう。誰もがイライラしたくなんかないけれど、心に余裕がないとイライラしてしまうものですよね。これは自分のイライラという感情をコントロールできていない表れといえます。それと同時に、自らの注意の対象をイライラする物事や考えに向けてしまっているという、注意のコントロール不足も生じています。このことから分かるように、自分の心や意識というのは思ったように操れるわけではないのです。

理解を深めるために、イメージを働かせてみましょう。1頭の暴れ牛を手なずけようと、必死になっているところを想像してみてください。落ち着きなく動こうとする牛は、右へ左へと行ったり来たりしますし、すぐにどこかに走って行こうとします。そんな暴れ牛に、もし手綱がついていなかったらどうなるでしょうか? お手上げの状態になるに違いありません。

闘牛士
写真=iStock.com/Syldavia
※写真はイメージです

自分が思う通りの方向に進むためには、この暴れ牛を自分と同じ方向に歩かせるための働きかけが必要です。そのためには、「手綱」が欠かせません。

この牛を、私たちの頭の中に生じる「思考」に置き換えれば、手綱はまさに「注意をコントロールする能力」ということになります。

川野泰周『精神科医がすすめる疲れにくい生き方』(クロスメディア・パブリッシング)
川野泰周『精神科医がすすめる疲れにくい生き方』(クロスメディア・パブリッシング)

思考があちこちにさまよってしまい、本来取り組むべき物事に注意が向いていないと気づいたら、「今はこっちだよ」と気持ちが逸れていることに気づかせ、そっと正しい方向に誘導してあげる力です。

しかし、私たちはとても忙しい日々を、数多くの情報にまみれて送っています。注意散漫な状態に陥ると、「意識の主人」が不在になり、「あれをしなきゃ」「この資料も明日までが納期だ」「今SNSでこんな話題が上がっている」などと、頭の中に入ってきたものに次々と心を奪われ、心の暴れ牛はどんどんと流されてしまいます。

この状態では何かに集中するということはできませんよね。そうならないためにも、この「気づく力」の大切さについて、多くの方に知っていただきたいのです。実際に私は様々な場で、それを養う方法について紹介しています。

気づく力を身に着けて想像と現実の世界を切り分けよう

実はこの暴れ牛のお話、まだ続きがあるんです。ここまでの内容は、禅の世界で古くからとても大切にされてきた「十牛図」という書物の前半部分に相当します。この書物は、ある旅人が牛と色々な形でかかわる過程を経て、悟りに至るまでの道のりを修行者に教える禅の入門書なのです。では暴れ牛を手なずけた後に待っている展開とは……?

ご興味のある方は、十牛図のよい解説書がたくさん出版されていますので、ぜひお読みいただければ幸いです(私のお勧めは、鎌倉にある臨済宗大本山円覚寺の老師、横田南嶺さんの著書『十牛図に学ぶ』です)。

要点をまとめると、「気づく力」を身に着けることで、自分が知らず知らずのうちに想像の世界で作り上げたバーチャルな世界と、あるがままの現実の世界とを、クリアに切り分けられるようになるということです。そしてそれは、不安や恐れといったネガティブな感情による疲れを解消することにも大いに役立つのです。

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