「私たちの注意の容量は有限である」

図表1のイラストは、人間の「注意」の方向を矢印で示したものです。あなたの注意は一方向ではなく、同時に様々な対象に向けることが理論上は可能です。

【図表1】私たちの注意の容量は有限
イラスト=長田周平
【図表1】私たちの注意の容量は有限(出所=『精神科医がすすめる疲れにくい生き方』)

たとえば先ほどの例で出てきた、「美容室の予約」と「資料の締め切り」の2つの事柄。これらを同時に考えているとすると、矢印の方向は2つということになります。同様に、3つないし4つの物事に注意を向けることも可能です。

しかしここで気を付けなければならないことは、「私たちの注意の容量は有限である」ということです。注意の容量、つまり一度に使うことのできる注意力の総和のことを、専門的には「注意資源」といいます。言葉自体を覚える必要はありません。ただ「資源」という表現から、「限りあるもの」であると理解していただければ幸いです。私たちは同時に無限の対象に注意が向けられるわけではなく、自分の持っている注意の資源を細かく分けて消費しているのです。ですから先ほどのイラストでいえば、注意を向ける対象が増えれば増えるほど、1つ分の矢印が細くなる。つまり「注意のクオリティが下がってしまう」ということです。

マルチタスクとは、意識している物事の数だけ、注意の矢印を分割していることに他なりません。

矢印が色々なところに向かえば、その分たくさんのことを考えられて便利なようにも見えますが、実際には注意が同時に多方向に向いてしまうことで、1つ分の注意の質が低下し、作業効率が大幅に下がってしまうのです。

ピアノ演奏などはそのよい例です。私も幼少期にピアノを習っていたのですが、先生は必ず、最初は片手ずつ練習するよう指導して下さいました。そしてそれぞれの手で十分に慣れてからはじめて、両手同時に弾いてみる段階に進むのです。プロのピアニストは最初から両手で弾けるのかもしれませんが、初心者には到底できることではありません。私が学生だった頃、ポップスの名曲を多数手がけた音楽家の小室哲哉さんがテレビの音楽番組で演奏する際、2つのキーボードを同時に弾いていて驚いたものです。そのことに十分に熟練した人のみが、右手と左手という「ダブルタスク」を、演奏で実現することができるのだと分かります。

これを私たちの日常に置き換えて考えてみましょう。先ほど、次のような例を挙げました。

・会議中に違うことを考えていて、名前を呼ばれてハッとしてしまう
・電車の中でスマートフォンを見ていて、気がついたら乗り過ごしそうになった
・失敗した体験の記憶が頭の中でぐるぐる回って、1日が過ぎてしまう

このようなことは日常茶飯事の私たちですが、大切なことは、こうしたことに気づけるのはたいてい「後になってから」ということです。友だちに話しかけられる、あるいは電車内に停車駅のアナウンスが流れる。こうした外的な働きかけによって、自分の注意の矢印が、今向けるべきこととは別のことに向けられていたと気づくのです。注意が逸れて他の方向に向かいはじめた時点で、「あっ、今少し別の方向に注意が向きつつあるぞ」などと察知するのは至難の業だということです(実はあることを日々根気よく練習すれば、どなたでもこの察知力を鍛えることが可能です)。