安倍氏の後を引き継いだ菅義偉首相は、安倍氏ほど明確に憲法改正を掲げていないが、それも今のところコロナ対策に忙殺されているからなのかもしれない。私から見ると、菅首相は、安倍氏と比較するとイデオロギーの色が薄く、もっと実践的(pragmatic)であると思う。

菅政権下の自民党は、安倍氏が持ち上げた「日本の復活」という壮大なゴールではなく、デジタル庁の設置や東京五輪の実現などという、もっと限定的な目標を目指すようになった。

そうした状況の中で、直截的ではないものの、数々の発言や行動を通して現行憲法へのメッセージを発していたのは、先の天皇で今の明仁上皇ではないだろうか。

「平和と民主主義を守るべき大切なもの」と明言

私の記憶に色濃く刻まれているのが、第125代天皇として在位していた2013年12月18日に行われた、傘寿となる80歳の誕生日を前にした記者会見での言葉だった。以下、敬称は原則として取材当時のものとする。

マーティン・ファクラー『日本人の愛国』(角川新書)
マーティン・ファクラー『日本人の愛国』(角川新書)

80年の道のりで特に印象に残る出来事を尋ねる代表質問に、明仁天皇は「やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです」として、こう続けた。

「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」

日本国憲法を作った主体を、明仁天皇は「連合国軍の占領下にあった日本」と位置づけていることがわかる。

大日本帝国憲法第1章で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定されていた天皇は、日本国憲法第1章では「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と大きく地位を変えている。

象徴という立場から逸脱することなく、それでいて日本国憲法の立ち位置を「平和と民主主義を、守るべき大切なもの」と明言した。このときの言葉から、改憲派である安倍氏や政権与党へのアンチテーゼを私は感じた。

11回におよぶ沖縄への「慰霊の旅」

明仁上皇は即位する前の皇太子時代から、毎年8月6日、9日、15日、そして6月23日になると黙とうを捧ささげてきた。広島および長崎の原爆忌、終戦記念日、そして太平洋戦争における沖縄戦で組織的な戦闘が終結した日だ。慰霊祭の時刻に合わせた祈りは、外国訪問と重なっていても欠かさなかったという。