「祝う」ではなく「記念する」と宣言した陛下
私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します――。天皇陛下の東京五輪開会宣言が話題だ。
一つには、その簡潔さ。直前にあった橋本聖子組織委員会会長、IOCのトーマス・バッハ会長のあいさつがとにかく長かったから、際立った形だ。最初の橋本会長が7分、バッハ会長はさらに上を行く13分。「会議における発言の長さ」を論じて辞任した、森喜朗前組織委員会会長の感想を聞きたいところだ。
とはいえ、国家元首による開会宣言は五輪憲章で定められていて、陛下の宣言もそれにのっとったものだ。一方で陛下は、五輪憲章に書かれた「和訳」と異なった言葉を使用した。それが、二つ目の話題だ。陛下が変えたのは、celebratingの訳。最新の「五輪憲章2020年版・英和対訳」に「オリンピアードを祝い」とあるのを、「記念する」にしたのだ。
天皇は一切の政治的行為が許されない「象徴」
「記念する」への道は、1カ月前から見えていたように思う。6月24日、宮内庁の西村泰彦長官が定例会見で「五輪開催が感染拡大につながらないか、(陛下が)ご懸念されていると拝察している」と発言した。「陛下は五輪に反対」と読み替えることもできなくはない。だからこそ「拝察」というオブラートに包んだに違いないが、「象徴天皇」としての矩を踏み越えたと批判も招いた。
憲法第1章には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とある。だから長官発言を受け、一橋大学の渡辺治名誉教授(政治学)はこう語った。「天皇の命令で戦争を招いた反省から、政治的な決断は国民とその代表である議員が行い、天皇に一切の政治的行為を許さない『象徴』とするのが憲法の『国民主権』」。だから、長官の発言は「国民主権を侵害する危険性」があるという指摘だった(朝日新聞6月25日朝刊)。
このような指摘は他にもあった。だが、「祝う」を使っては陛下が「コロナ禍の五輪」を祝福していると取られかねないという懸念が宮内庁から伝えられ、政府や大会組織委員会が検討、和訳のみの変更ということでIOCの承認も得られたという。世界中でコロナ禍による死者が拡大、収束が一向に見えない状況だ。「祝っている場合だろうか」という気持ちは誰もが持っているものだろう。とはいえ、宣言するのは陛下であり、「象徴天皇」としてはかなり踏み込むことになる。