「無難」だった天皇陛下が五輪で変わった

五輪憲章が開会宣言を定めているのは、開会式が政治的に利用されないためだという。それを踏まえ、五輪を研究する東京都立大学の舛本直文客員教授は「文言を変えるべきではなかった。国家元首や政府の意向での変更は、五輪の理念に反した政治的な関与と取られかねない」と述べている(朝日新聞7月24日朝刊)。

だが長官発言に当たっても、開会宣言に当たっても、陛下は批判が起こることは重々承知していたに違いない。これまでの陛下の発言をまとめるなら、「無難」だった。陛下と雅子さまが生真面目な似た者同士で、己を出すことを良くないことと考えているから。私はそう解釈していた。そんな陛下が、五輪の局面で明らかに変わった。無難ではいられない。そう判断したのだと思う。

火がともるトーチを持つ手
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それまで陛下は、上皇陛下のものに少しのアレンジを加えて「おことば」とすることが多かった。国民の敬愛を集めた父の後を継承するのだから、それは当然ではある。即位を国内外に宣言する「即位礼正殿の儀」で陛下は、「憲法にのっとり(中略)象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べたが、原点は上皇陛下の「日本国憲法を遵守し(中略)象徴としてのつとめを果たすことを誓います」だ。

「国民の普通の感情」を行動規範に

8月15日に開かれる全国戦没者追悼式では、ほとんど上皇さまのものと同じ「おことば」を述べている。戦争体験のない世代だから、これも当然だ。それが2020年の追悼式では、「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面しています」と加え、話題になった。その年の4月にエリザベス女王がコロナ禍にある国民を励ますメッセージを出した。陛下にもメッセージを求める声が上がっていたが、出すことはなかった。だから、コロナ禍を案じる陛下の「苦肉の策」のように見えた。

結局、この案じる気持ちが解決されないまま、五輪が始まったということだろう。開会式前日の7月22日、陛下はバッハ会長らIOC関係者と面会した。23日にはジル・バイデン米・大統領夫人ら各国首脳と面会した。どちらも陛下は英語であいさつ、中に共通する文章があった。最初から二つめと最後の文章で、和訳を引用するとこうだ。

「現在、世界各国は、新型コロナウイルス感染拡大という大変に厳しい試練に直面しています」。そして、「皆様と共に全てのアスリートのご健闘を祈ります」。

コロナ禍での五輪です、運営は心配ですが選手は応援します。そういう陛下の思いが伝わってきた。そしてこれは、ほとんどの国民が持っているごく普通の感情だ。陛下は、「国民の普通の感情」を共有し、行動規範にしている。そう理解した。