人類初の女性宇宙飛行士テレシコワ

もちろん、長時間の宇宙滞在には、きちんとした訓練が必要だ。しかし、少なくとも、短期間の宇宙滞在であれば、今まで求められたような強靭な体力と、とてつもない長い訓練期間は必要なくなるのかもしれない。

もっと多様な人々が宇宙にでていく時代がすぐそこまでやってきている。ここで、宇宙に多様性が必要とされるわけを、過去を振り返りながら考えてみたい。

人類初の宇宙飛行士は、1961年4月、大気圏外を一周し、「地球は青かった」の名言を残したユーリイ・ガガーリンだというのは、多くの人がご存知だろう。一方、人類初の女性宇宙飛行士は、1963年に地球の周りを48回回ったソ連のワレンチナ・テレシコワという女性だ。

しかし、この時は米ソ冷戦時代。彼女の存在は、「いち早く男女平等を達成したのは共産主義国家」というプロパガンダとして、ソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフに利用されたともいわれている。ソ連が史上2人目の女性宇宙飛行士を宇宙に送り出したのは、テレシコワから19年もたった後である。

アースからの眺めスペースに中国と日本
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宇宙は「白人」「男性」「軍人」のものだった

アメリカの宇宙飛行士の歴史を見ても、昔は「白人」「男性」「軍人」が中心だった。

1960年代、7人の男性宇宙飛行士「マーキュリー7」の訓練が行われたが、この訓練にあたったランディ・ラブレース医師はこの時、13人の女性パイロットを選び、男性の宇宙飛行士と同じように訓練を開始した。この「Fellow Lady Astronaut Trainees(FLAT)」と呼ばれたプログラムに参加した女性の一人が、今回、べゾス氏と宇宙に行ったファンクさんだった。

この女性飛行士たちは、いくつかのテストで男性よりも良い成績をおさめている。しかし、「NASA(アメリカ航空宇宙局)の宇宙飛行士には軍用機のテストパイロットプログラムの資格が必要」という議会証言がなされたために、彼女たちには訓練に必要な海軍施設の使用許可が下りなかった。そして、女性の宇宙飛行士訓練プログラムは「公式な計画ではない」とみなされ、この訓練プログラムは終了してしまったのだ。

NASAがスペースシャトル・プログラムで初めて女性の宇宙飛行士を選んだのは、それから随分たった1978年である。

CNNの報道によると、ファンクさんは「私はNASAに4回連絡して、『宇宙飛行士になりたい』と言ったけれど、誰も相手にしてくれなかった」と述べたそうだ。「『ウォリー、君は女の子だからできないよ』と言われた私は、『自分が何だろうと、やりたいと思えばできる』と言い返した。私は誰もやったことがないことをやるのが好き」

ファンクさんはパイロットとして豊富な操縦経験をもち、飛行時間は1万9600時間超、3000人以上に自家用機や民間航空機機の操縦方法を教えてきた。それでも宇宙には行けず、60年間、宇宙に行く夢を持ち続け、ついに夢を達成した。「宇宙は男のロマン」とよく言われるが、「宇宙は女のロマン」でもあるのだ。