大批判の中でオリンピックをやり切った皆さん、お疲れ様でした
開会前からあれだけ物議を醸した東京オリンピック2020が閉会した。直前まで「開催反対」の声が上がるほどの大批判にさらされながら、現場では見えないウイルス相手に対策を講じなければならない。そんな中で世界規模のイベントを実行するのは、ほんと大変なことだったと思う。
批判すること、問題点を指摘するだけのことはどれだけ簡単か。
そのような批判や問題点に対策を講じながら実行することが、どれだけ知恵と忍耐力とエネルギーのいる作業か。
選手はもちろん大会運営に当たった実務者の皆さん、本当にお疲れ様でした。
これは政治をやってきた僕の経験から身に染みて分かること。
問題点は外野からいくらでも指摘できる。そして実行する側はそんな問題点は十分把握している。重要なことは、その問題点をどう乗り越えるかの案。
政治を批判する者の多くは、その案を示さずに批判だけする。
今回のオリンピック批判もそれと同じで、典型的な「案なき批判」が多かった。
インテリのステレオタイプよりも信頼できる国民大多数の声
そして世間に向けて発信しているそれなりの人たち、いわゆるインテリの中の賛成派・反対派の人たちのオリンピックに対する態度もおかしかった。
感染リスクを懸念してのオリンピック反対派は、オリンピックが始まっても素直にオリンピックを応援できない。それまで反対していたから、ということで躊躇しているようだ。
他方、賛成派は、「オリンピックと感染リスクは関係ない。日本の感染状況など世界からみたら大したことない」と言い続ける。オリンピックが始まり、テレビのオリンピック番組の視聴率が上がり、世論調査でもオリンピックをやってよかったという国民の声が多数を占めると、「ほらみたことか! 反対派・中止派はおかしかったのだ!」と勝利宣言をする。
特に、オリンピック関係者約4.8万人のうち、陽性者は404人。しかもそのうちの267人(いずれも8月7日現在)は日本在住の委託業務従事者だったとのこと。この点を捉えて、「やっぱりオリンピックと感染拡大は関係なかった!」と言い張る。
これは、賛成派・反対派どちらも、「オリンピックと感染拡大リスクの関係性」という「論理」のところだけに注目しているからこのようになってしまうのだ。
感染拡大を心配する側は徹底した反対派になる。
リスクはないと考える側は徹底した賛成派になる。
でも、やっぱりこのようないわゆるインテリたちのステレオタイプの態度振る舞いよりも、国民大多数がとった態度振る舞いの方が、大きな方向性として信頼できると感じたね。だから僕は、国民大多数の声で最後は決するという政治の仕組みを支持するんだ。
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.258(8月10日配信)から一部を抜粋したものです。気になった方は、メールマガジン購読をご検討ください。今号は《【コロナ禍転じて大改革へ!(1)】なぜ1年半コロナ病床は増えなかったか? 菅政権が切り込むべき医療制度の大問題》特集です。