ミイラ取りがミイラになった

なんとも言えないブラックジョーク的なオチです。このオチは演者によってオリジナリティを出す場面でもあり、私はこのオチを言い終えた後、暗転にしてもらい、「起きろよ」という死神のセリフきっかけで明転にしてもらいます。

「ここはどこだ?」と男が言うと、「お前も今日から俺たち死神の仲間入りだ」「え⁉ 俺が死神に?」「ああ、一息入れたらな、金儲けのやり方、教えに行ってこい」という、「死神が再生産される」という二段オチにしています。

この落語は、明治時代の落語界の巨人ともいわれた三遊亭圓朝がイタリアオペラから移植したと言われる名作です。

「人間の業」がきっちり描かれている落語でありますが、どこかで「人間の欲にはどこかでブレーキをかけなきゃいけないよ」とも「いやぁ、なかなかブレーキはかからないものだよね」とも両方の意味に取れるような「許容範囲」こそが、この「死神」の魅力なのかもしれません。

オリンピック後、冷静になって選挙にいこう

しかし、私は、時節柄かようにこの落語を新解釈しました。

立川 談慶『花は咲けども 噺せども 神様がくれた高座』(PHP文芸文庫)
立川 談慶『花は咲けども 噺せども 神様がくれた高座』(PHP文芸文庫)

つまり、「他の名医が匙を投げた病人を助けた」という噂や評判だけで前半は「あいつは生き神様だ」と持ち上げておきながら、後半はその逆で打って変わって「寿命で死んでゆくはずの病人を助けられなかった」=「殺した」と即断し、「あいつは死神だ」と非難する大衆にスポットを当ててみたいと思っています。

どうです? まさに現代のネット界隈の人たちのようですよね。

「人間というものは時代がどう変わっても変わらないものだ」というのが落語の哲学だとすれば、今回のオリンピック強行とコロナ対策に右往左往する政府の方針について大衆がどんなに異を唱えていたとしても、やはりまた「ほとぼりが冷めたら」、金メダルの結果や日本人選手の健闘ぶりでそれらに対する評価はガラリと変わってしまうものなのでしょう。いつの時代も大衆とは、いい悪いではなくそういうものなのでしょう。

夕暮れ時の日本国立競技場
写真=iStock.com/tore2527
※写真はイメージです

そういう「大衆のいい加減さ」を「死神」から悟ってみてはいかがでしょうか? そして「だから日本人はいつまで経ってもダメなんだ」と厭世的になるのではなく、「ムードに左右されやすい」と自覚することで、例えば次なる選挙を迎える時、冷静に己を見つめ直して投票してみてはいかがでしょうか?

もちろん、この日本人のムードに対しての流されやすさは、震災などの各種天災が頻繁に発生するこの国における「立ち直りの速さ」という素晴らしい感性にも直結している部分もあるのであながちすべてがマイナスとまでは言い切れませんが、「死神」でも聞きながら、クールダウンさせて、今回のオリンピックを受け止めてみてはいかがでしょうか?

今年の夏は例年に比べても暑くなりそうです。どうぞ皆様ご自愛くださいね。

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