バブル景気の1991年に年12億円余りだった売上高が、2018年には3億円程度に減少。シェア7割の梵鐘メーカーが6月下旬、経営破綻した。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「戦時下、梵鐘などの鋳型仏具は国に没収され、武器や軍艦に姿を変えました。戦後、高度成長期からバブル期に梵鐘が鋳造されましたが、近年は人口減少に伴う過疎化、檀家・寄付金の減少、さらには『ゴーン』という音がうるさい、といった近隣からの苦情もあり、寺院からの受注が減っていた」という――。
戦時中、金属供出のターゲットにされた寺院の仏具
戦時中、金属供出のターゲットにされた寺院の仏具(写真提供=四天王寺)

コロナ禍でお寺の「梵鐘」メーカーの最大手が経営破綻した

知る人ぞ知る「梵鐘」製造の最大手が経営破綻した。

梵鐘とは寺院の境内に置かれ、時を知らせたり、除夜の鐘などの法要時に衝いたりする仏具の一種である。梵鐘は前時代的なイメージがあるが、戦後、大きく需要を拡大していた。梵鐘は、社会を映し出す鏡。本稿では、時代に翻弄されてきた梵鐘ビジネスに焦点を当ててみたい。

6月29日、梵鐘メーカーでは国内最大手の老子おいご製作所(富山県高岡市)が、民事再生法の適用を富山地裁に申請した。負債総額は約10億6000万円。

老子製作所は江戸時代中期に創業した老舗企業だ。京都の西本願寺や三十三間堂、東京の池上本門寺、成田山新勝寺などの名刹めいさつの巨大梵鐘のほか、毎年8月6日、広島の平和記念式典で打ち鳴らされる平和の鐘など多くの名鐘を手がけてきた。

老子製作所の国内シェアはおよそ70%。梵鐘製作の技術を活かし、境内に置かれる大型の鋳物仏具を手掛けてきた。例えば天水鉢や香炉、銅像の類いである。

老子製作所はバブル景気のさなか、1991年3月期には売上高12億6600万円のピークを迎えた。だがその後、景気悪化に伴って寺院からの需要が激減。2018年3月期には売上高3億円程度にまで減少していた。

梵鐘の発注元の大半は、寺院であり、仏教界の動向に大きく影響される。少し寺院史をみてみたい。

江戸、明治、大正時代の梵鐘は、日本にはほとんど存在しない

現存する伝統仏教寺院の多くは、17世紀初頭以前に開かれている。江戸時代はごく初期を除いて、正式な寺はほとんど開かれていないからだ。それは幕府が江戸初期に村ごとに菩提寺となる寺を整備し、檀家制度を敷いて、キリシタンを禁制したからである。江戸時代には全国に9万の寺があったとみられている(現在は7万7000カ寺)。

梵鐘はひとたび造られてしまえば、その後は鋳造する必要がないものだ。仮に仏堂が火災や災害に遭ったとしても、金属製の梵鐘は無事であることが多い。なのに、戦後高度成長期からバブル期にかけて、全国の多くの寺で梵鐘が新たに鋳造されている。その理由を解説しよう。

日本における梵鐘はおおむね「17世紀初頭以前の文化財級の古いものか」「戦後につくられた新しいものか」の2種類に分かれる。

つまり、江戸、明治、大正時代の梵鐘は、日本にはほとんど存在しないのだ。それは戦時中に、その年代の梵鐘がことごとく、「金属供出」の憂き目にあったからである。