桜蔭OGのテレビ東京アナウンサー繁田美貴さん
「礼法の所作で呼吸が整い精神統一できる、体幹も鍛えられる」
中学1年生のときには週に1回、その後も定期的に(高校でも頻度こそ少なくなりましたが)、礼法の授業がありました。50人ほどのクラスメート全員が、畳が敷かれた広い和室に入って、日常の基本的な所作を礼法専門の先生から教えていただきました。
私は桜蔭に入学するまで正座をする機会がありませんでしたから、それが最初にぶつかった壁でした。その後、立ち方、お辞儀の仕方、方向転換、戸の開け閉め、物の渡し方、お茶の作法などを丁寧に指導していただきました。
桜蔭学園の建学の精神は「礼と学び」を大切にすることにありますから、礼法の授業はまさに建学の精神を具現したものであり、指導は温かくも厳しかった記憶があります。
具体的な所作だけでなく、礼法の根本に「他者への思いやり」があることも教えていただきました。たとえば、お茶をいただくとき、茶器の絵柄がある側に口をつけて飲まないのは、器を大切にするだけでなく、お茶を振る舞ってくださった方、さらには器の作者へも敬意を表することにつながると、実際の所作とともに学びました。
礼法のさまざまな所作は呼吸を意識しながら行うので、精神統一の訓練に近い面もあり、桜蔭生が勉強に集中するための下地になっていたかもしれません。美しい姿勢を保つために体幹が鍛えられるおかげか、桜蔭の生徒の多くは姿勢が良かった印象があります。
礼法を通して得た社会人の基礎となる精神
現在のアナウンサーという仕事に礼法が直接的に生きているかというと、必ずしもそうとは言えません。たとえば礼法の正式なお辞儀では、頭をゆっくりと90度近くまで下げ、再びゆっくりと上げます。これをスタジオでやったら、収録の時間がのびてしまいます(笑)。
こうした具体的な作法としてではなく、目には見えないけれど社会人としての自信につながるものとして、礼法が生きていると実感することがあるのです。
人間って、かしこまった席ほどオドオドして下を向いてしまうものですが、礼法で学んだ美しい立ち方や歩き方が身についていると、どれほど緊張を要する場面でも顔を上げていることができたりします。これによって、持っている力を最大限に発揮できて、最高のパフォーマンスにつながっていくように思います。
かつて授業で教えられたことだった、ということすら忘れてしまっているほど身についた動作の中に、実は礼法が生きていることがあり、いざという場面で無意識のうちにそれを実践していることがあるのです。
桜蔭の校訓に「責任を重んじ、礼儀を厚くし、よき社会人であれ」という言葉がありますが、社会人になってしみじみと感じるのは、社会は人と人とのつながりでできているということです。そのつながりは、「他者への思いやり」なしには決して成り立ちません。
受験勉強の先にある社会人としての生活を見据え、礼法を通して社会人の基礎となる精神を教えてくれた母校に、あらためて感謝しています。