頭を下げるのは「心を開いています。敵意はありません」のサイン

武士は常に、相手が斬りつけてくるかもしれないという緊張感の中で生きていた。そのため、礼法には相手を思いやり、緊張を和らげるための仕掛けがたくさんあるという。

「たとえば、礼法では正しいお辞儀の基本が決まっています。相手に向かって自分の急所である頭を深々と下げますが、こうすることで相手に『あなたには心を開いています。敵意はありません』というサインを送っているわけです」

つまり、正しいお辞儀の仕方という「かたち」もさることながら、その背後にある「こころ」が一層重要なわけだ。学校でも、「かたち」と「こころ」をセットで伝えているという。

「和食の作法として箸先を左側に置くことは皆さまご存じかと思いますが、ではなぜ左側にするのか、その理由をご存じでしょうか?」

学校でこう問いかけると、一番多い答えは「右利きが多いから」だそう。それも一つの理由には違いないが、本当はもっと深い意味があるという。

「『天子南面す』といって、地位の高い人は南を向いて座るという考え方があります。南を向いて箸先を左に向けると、箸先が示す方角は東。つまり、太陽が昇る方角なのです」

万物に命を吹き込む太陽のエネルギーを箸先に受けながら食事をすることで、体内に太陽のパワーを取り込む。箸の置き方一つにも、こうした深遠な意味があるのだ。

礼法の写真
写真提供=光英VERITAS中学校・高等学校

AI・デジタル化、グローバル化、多様性の時代にこそ礼法を

では、進学校や伝統校が礼法を取り入れるのはなぜなのだろう。学力や学びの姿勢にもつながる何かが、礼法にはあるのだろうか。

「もちろん、礼法を学ぶことがほかの教科の成績アップに直結するわけではないかもしれません。しかし、物事を俯瞰的に見て判断する能力を養えることは間違いのないことだと思っております」

敬承斎さんは、先代の小笠原忠統ただむさんのエピソードを教えてくれた。

「先代はよく、『私は日本で最も和食を一緒に食べたくないと思われる人だろう』と申しておりましたが、ある時、テレビ局内のお仕事の際、スタジオでお弁当が出たのです。私もお供していたのですが、先代はスタッフの皆さまと一緒に、ここまでかたちを崩してしまっていいのかとハラハラするような箸使いでお弁当をいただいておりました。そのとき先代は、一つの作法だけを残して、ほかをすべて省略していたのです」