スペインの人口1500人の町から、名門アリゾナ州立大学へ

スペインのバリカという人口1500人ほどの小さな町で生まれ育ったラームは、母国や欧州でジュニアやアマチュアのタイトルを総なめにして、2012年に米国の名門アリゾナ州立大学からゴルフ奨学生として迎えられた。

とはいえ、生まれて初めて訪れたアメリカは右も左もわからず、英語もほとんどわからなかったそうだ。

「でも、大学キャンパスに足を踏み入れた初日から、ジョンのゴルフの腕はすでに磨き上げられていた」

そう振り返ったのは、当時のゴルフ部コーチを務めていたフィル・ミケルソンの弟ティム・ミケルソン。それほどラームのゴルフは光り輝いていたという。

チームメイトたちは、みなフレンドリーで、ラームに積極的にアメリカ生活のことや英語を教えた。ついつい母国語に頼るラームに「スペイン語を口にしたら罰ゲーム」という特別ルールを作り、「ゲーム感覚で頑張れ」とラームを励ました。

ゴルフ場に立つ星条旗
写真=iStock.com/Rick Stufflebean
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ミケルソン兄弟はことあるごとにラームをサポート

大学1年生の秋、ハロウィーン・パーティーでラームはケリーに出会った。ラームは米国の人気TVドラマ「SWAT(特別狙撃隊)」のコスチュームをまとい、ケリーはNFLのレフェリーに扮して、どちらもトイレの順番を待つ長蛇の列に付いていた。そして、どちらからともなく話し始め、2人の交際が始まった。

「私がしゃべりまくり、ジョンが相槌を打ちながら耳を傾けるという感じ。彼はとても聞き上手でした」

ゴルフ部コーチだったティムの兄であり、同じアリゾナ州立大学ゴルフ部の先輩でもあるフィル・ミケルソンは、ラームの噂を聞いて興味津々となり、早々にゴルフ部をのぞきにやってきたそうだ。

「一目見て、すごい才能だと思った。ツアーに来たら、1年以内にトップ10に数えられる選手になると思った。いつか必ずメジャーで勝つ、いやいや、世界一になると思った」

以後、ミケルソン兄弟は、ことあるごとにラームを激励し、サポートしてきた。