高校3年の10月、自らネットゲームを封印しパソコンを親に預けた

優斗さんが籍を置くスーパー特進コースは前倒しで授業が進められ、高校2年生からは受験シフトになる。学年が上がるごとに、勉強は厳しくなった。その厳しさを物語るのがクラスの人数の変化だ。入学当初は40人いたクラスメートは、卒業時には30人に減っていた。脱落者が次々出るくらいハードだったのである。

「でも、僕の場合、苦という感じではなかったです。周りの友達もやっていると思うと励みになりました」(優斗さん)

高校2年生以降、成績は学年1位になった。試験日が近づくにつれ、勉強に向かう気持ちが高まった。そして高校3年生の10月、優斗さんはとうとう自らネットゲームを封印した。パソコンを親に預けたのだ。

「そこにゲームがあるのにやらないのはしんどいけれど、何もなければあきらめがつく」(優斗さん)

ゲームのない環境を自らつくり、コツコツと勉強して東大を目指す。3年前の姿からは想像できない大激変である。

こうして迎えた最初の東大入試はわずかに力が及ばず、浪人することになった。浪人生活も、ひと時たりとも気を緩めなかった。朝8時には起きて予備校に行き、閉館する夜の9時まで机に向かう。帰宅後、夕食を済ませてお風呂に入ったら、12時には就寝。朝までゲームをしていた頃が嘘のようである。2回目の挑戦で堂々合格をもぎ取った。

©︎Norifusa Mita/Cork

「お母さんが勧めてくれた高校に行ったから東大生になれた」

そんな優斗さんがしみじみと言う。

「ターニングポイントは高校選びに成功したことです。僕は周りの友達と一緒に勉強する環境に置かれることが大事だった。毎日朝から晩まで勉強するような学校が合っていたんです。お母さんが勧めてくれた高校に行っていなかったら、東大生になることはできなかったと思います」

紋子さんは見放すことは全く考えなかったという。

「パイロットの夢をかなえるために頑張ってほしいという気持ちはありました。小学校のときも『勉強しなさい』『復習しなさい』とよく言っていました。優斗に対してできて当然という気持ちもあって、プレッシャーも与えていたと思います。昼夜逆転になったしまったときも小言を言っていましたね。口うるさく思われているだろうなと思っていたのですが、感謝してくれているなんて……」(紋子さん)

母の言葉に時には反抗もしたが、自分を気にかけているという愛情が伝わっていたのだ。

中学のとき思い切って、パソコンやゲーム機器を取り上げてしまう手もあっただろう。だが、紋子さんはそこまで強行する気にはならなかった。パソコンを使いこなせるのは悪いことではない。大好きなゲームの世界から得るものだってあるはずだ。第一、取り上げて隠したところで、息子なら容易に探し出してしまうと思っていたそうだ。

将来、もし、優斗さんがコックピットに座る日がきたら、その飛行機に両親を乗せてあげるのが最高の恩返しだろう。

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