2010年は日本の転換点となる
熟慮を欠いても世間受けのする改革断行というのは、たしかにある。企業の経営改革でも、それはありそうだ。しかし、結局、全体の中の論理のつじつまの合わない改革は、どこかで破綻する。
ただ問題は、歴史は後戻りできないということである。熟慮を欠いてもなんでも、大きな改革の断行をし始めると、途中であるいは入り口でその断行のもたらすパンドラの箱的混乱が起きてしまったときにも、単純に後戻りすることはできない。そこで、どうすべきか、トップの器量が試されている。
入り口なら、急遽取りやめるという手がまだ残っている。旅行になぞらえれば、予約取り消しである。もちろん、解約手数料がかなりかかるが。また、途中まで来ていたら、目的地変更をしても、とにかく一つの旅を終わらせないと、収まりがつかないことが多いだろう。
しかし、予約取り消しにしろ目的地変更にしろ、それは改革という旅を率いるトップの器量があってこそ意味のある話である。しかし、熟慮を欠いた断行をしてしまうトップにはそうした器量が期待できないことが多い。だから、トップ交代と旅行プランの変更がワンセットにならざるをえないことが多いのである。
大きな改革が必要な案件には、歴史のしがらみが複雑にからみ「きわめて論理的にさまざまな連鎖が重なって」動きの取れない状況になっているのが、ふつうである。大きな経営改革とは、政府でも大企業でも、そうした閉塞状態での改革であり、その状態からの脱出なのである。
そこから抜け出せるような改革には、よほどの熟慮と、改革の肝を押さえた早い断行が必要となる。そして、改革のチームがチームとして機能するようにメンバーがかなり揃っていないと、一人のヒーローによる改革をめざしても無理なことが多い。2001年から行われた松下電器産業(現パナソニック)の経営改革について私は一橋大学の若い人たちと本を書いたことがあるが、この経営改革は熟慮断行とチームとしての改革のいい例だったと思う。けっして当時の中村邦夫社長だけの改革ではなかったし、しかし中村社長の熟慮が正しい方向を指し示したのもたしかだと思う。