上海万博の開幕にともない、大阪万博当時の日本との比較をする報道がなされている。格差問題に絡めて中国の順調な成長を疑う声も多いが、筆者はその声に疑問を呈する。
消費者は本当に低価格を求めているか
上海万博が開幕した。そして、大阪万博の当時(1970年)の日本との比較がテレビでは盛んに流れている。
その多くの比較報道には2つの共通の焦点がある。1つは、万博開幕時の混乱あるいはマナーである。多くの報道は、「大阪よりも上海は混乱が多く、マナーも悪い」という。もう1つの共通の焦点は、経済発展の程度である。当時の日本と現在の中国とが同じような状況だ、というのである。1人当たりGDPの数字が類似しているというデータがよく出てくる。
2つの焦点を短絡的に結びつけると、大阪万博までの日本と同じような経済発展を中国はここまでしてきたが、しかし混乱が多くてマナーも悪いと、今後は経済の秩序が乱れて日本と同じようにはいかない危険がある、という結論になりかねない。
もっとも、大阪万博の際にも混乱は似たようなものだったという報道もあった。大阪でも開幕当初にまだ工事中のパビリオンがあったし、会場内の事故も結構あった、というのである。たしかに、中国はマナーが悪くて混乱気味、日本は大丈夫だった、という結論には違和感がある。ただし、やはり行列を守るかどうかという程度のマナーについては、多少差があるかもしれない。
しかし、私の「上海・大阪類似報道」への最大の違和感は、2つの万博の開催時点での2つの国の経済の状況が類似しているという結論への違和感である。ある種の通貨換算での1人当たりGDPを比べれば、日本と中国の数字は似ているのであろうが、その内容や今後の成長ポテンシャルについてはかなり違うと思えるのである。
最大の違いは、国内の格差であろう。多くの報道でも「上海の光と影」という形で、万博の繁栄と不動産バブルの陰に貧しい人たちの存在があることを指摘していた。
しかし、どこの国にもいつの時代にも所得格差はかなりの程度存在する。現在のアメリカの格差の大きさは、中国と比肩できるほどのものかもしれない。その点で、日本は異常なほどに所得格差の小さな国なのである。その国の常識で他国を測ると、その格差矛盾が大きな問題を引き起こすという結論につながりやすい。
そして、そうした国内の格差矛盾を小さくしようとするエネルギーが、じつは経済全体の発展のためには大きな力になりうるというプラスの部分を見落としがちになる。それは、日本の終戦直後の成長のエネルギーの源泉だったようにも思う。その格差解消が成功したというめでたい成果の結果として、矛盾解決のエネルギーの源泉が小さくなってしまったという皮肉な結果に、日本はなっているようである。