「民主主義」は人類普遍の崇高な価値観だといわれている。その価値観からすれば、アジアの国々の民主主義は不完全だ。しかしフリージャーナリストの姫田小夏氏は「シンガポールは、民主主義より経済成長を優先することで成長した。少なくとも中国をはじめとするアジアには、西洋とは違うやり方があると考えるべきではないか」と指摘する――。

※本稿は、姫田小夏『ポストコロナと中国の世界観 覇道を行く中国に揺れる世界と日本』(集広舎)の一部を再編集したものです。

シンガポール都市
写真=iStock.com/kurmyshov
※写真はイメージです

コロナ禍の中国人を救った「家族主義」

コロナ禍で大陸の中国人が命拾いしたとしたら、その理由の一つは「家族」にあるといわれている。職を失い住むところを失っても、家族のもとに転がり込んで当座をしのぐことができた、というのだ。中国人の家族主義はよく耳にするところだが、これはとりわけ東アジアや東南アジア(以下、東洋とする)などの中国語を話す人々の間で共有される思想でもある。

シンガポールの初代首相を務めた故リー・クアンユー(李光耀、1923-2015)氏の論文「李光耀論東西方文化与現代化」(2004年)には、欧米先進諸国(以下西洋とする)の価値観である「個人の自由」と東洋の価値観のコントラストが描かれている。同氏は、工業化、都市化、グローバル化が進む中で、シンガポールは核心的価値観を保持する必要があるとして、次のように主張している。

「最も重要な核心的価値観とは、君臣、父子、夫婦、兄弟、友人が負わなければならない権利と義務を規定する五倫関係(仁・義・礼・智・信)である。これは、子どもの世話と教育の責任を説き、親孝行、家族や友人への忠誠、質素で謙虚になること、一所懸命に学び、働き、成人したときには紳士になることを教えるものであり、これらの価値観は中国の文明を存続させ、他の古代文明が衰退する運命から中国文明を救うものである」

発展したシンガポールと中国の共通点

リー・クアンユー氏は1976年を皮切りに計33回も中国を訪問しているが、1980年代のシンガポールと中国の共通点を「(当時の中国の)人の動作や姿、話し方のトーンは東南アジアの華人と同じではないが、社会利益を家庭の利益に優先させ、家庭の利益を個人の利益より優先するという考えや、高齢者を尊重するという点で、互いの価値観は同じだった」と振り返っている。

同氏はこの論文で、家庭を社会の中核単位にし、社会的結束を強めることが東洋の文化の特徴であると主張しているが、他方、「五倫関係」については、例えば、国際社会では男女平等が進んでいるように、伝統的な価値観も現代社会に合うように調整することが必要だという柔軟な考え方も示している。確かに、こうした価値観も行き過ぎれば、支配・被支配の関係を強めてしまう欠点もあるため、常にバランスを取る努力が必要だ。

紀元前の中国で孔子は人倫の道を説き、武力を否定し、徳で以て世の中を治める徳治主義を広めた。のちに孔子の儒家思想を受け継いだ孟子が五倫関係を提唱する。四書五経は儒教の文献の中でも特に重要とされるもので、その中の『礼記らいき』は、周から漢の時代にかけて儒学者によって編纂された「礼」に関する書物だといわれている。そこには「まずは家を治めることだ」と書かれている。