中国の歴史はふたつの世界にわかれている。ひとつは「儒教」を踏まえた知識人の世界、もうひとつは「きょう」(男気、義侠心)に生きる庶民の世界だ。三国志研究の大家たいかで、今年2月に『『論語』 孔子の言葉はいかにつくられたか』(講談社選書メチエ)を刊行した中国古代史研究者の渡邉義浩氏は「三国志の魅力は、ふたつの世界が交わる希有な時代だった点にある」という。今年に入り『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)を立て続けに刊行した中国ルポライターの安田峰俊氏との対談をお届けする――。
早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩さん、中国ルポライターの安田峰俊さん
撮影=中央公論新社写真部
早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩さん(左)、中国ルポライターの安田峰俊さん(右)

曹操・孫権・劉備はそれぞれ社会階層が異なっている

【安田】「侠」の意識は、いちど仲間と見込んだならば落ち目になってもお互いを見捨てず、ときに社会の法や国家権力の強制力よりも優先される濃厚な仲間意識。『現代中国の秘密結社』でも書きましたが、主に自分たちの仲間(「幇」)に対して向けられるマッチョな相互扶助の意識です。そのため、ときには秘密結社の結合原理になったり、さらには黒社会や反乱組織などの行為を肯定する論理として使われたりすることもあります。

安田峰俊『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)
安田峰俊『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)

【渡邉】タテの関係に組み込まれない、ヨコにしか繋がれない人たちの紐帯のよりどころが「侠」ですね。『史記』や『三国志』の時代から、現代中国の人間関係まで、「侠」のネットワークのありかたは本質的な部分では変わらないように思えます。

【安田】私は最近、在日ベトナム人不法滞在者や中国人の技能実習生の実態を取材した『「低度」外国人材』という本を書いたのですが、「侠」的な人間関係は、こうした移住民や貧民、アウトローたちとの親和性が高い。身分の高い人たちの意識ではなく、庶民の感情なのでしょう。

【渡邉】その通りです。たとえば(史実の)三国志でいえば、曹操・孫権・劉備の三者はそれぞれ社会階層が異なっているので、「侠」的な人間関係との関わりもまったく異なるんです。

ドライな曹操、ウェットすぎる劉備

【渡邉】曹操の場合、やはり漢の太尉(防衛大臣に相当)の子ですから、臣下との人間関係のなかに「侠」的な気質はほとんど見られません。そもそも彼が個人的に信頼していた人物も、せいぜい郭嘉くらい。荀彧などについてはまったく信頼を置いていませんでした。

対談
撮影=中央公論新社写真部

【安田】確かに曹操には、部下と同じ目線で助け合うような仲間意識はなさそうですね。夏侯惇や曹仁のような武官との心情的な結びつきはありそうですが、彼らは義兄弟ではなく親戚そのものです。

【渡邉】ええ。いっぽうで孫権の場合、孫家はもともと弱小豪族ですから、黄蓋や甘寧・凌統などの土着の武将との間には「侠」に近い関係が生まれる余地がありました。ただ、周瑜や魯粛のように、ある程度の社会階層の人間、学問ある知識人とは「侠」ではつながれません。

【安田】そうした曹操や孫権に対して、劉備と関羽・張飛の関係は「侠」の人間関係の典型として広く知られています。三人が義兄弟の契りを結んだ「桃園の誓い」は、小説『三国志演義』などの創作ですが、史実でもそれに近い親しさがありました。劉備の周囲には他にも「侠」的な人間関係があふれています。

【渡邉】劉備は庶民的なのです。関羽や張飛に加えて、初期からの付き合いである趙雲や糜竺も「侠」的な濃い関係。また部下ではありませんが、劉備と公孫瓚の関係もこれに近いですね。公孫瓚は豪族の出身ではあるものの、正妻の子ではないため社会的地位は高くなく、アウトロー的な人間関係が生まれる余地があった。