コーエー『三國志』と史実の違い

【安田】ただ、たとえ劉備陣営でも泥臭い人間関係を結んでいない場合もあるようです。蜀の武将である関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超は、通俗的には「五虎大将軍」と呼ばれますが、先の三人と、あとの二人は大きく異なります。たとえば劉備政権下の馬超は、ただの客将です。

中国ルポライターの安田峰俊さん
撮影=中央公論新社写真部
中国ルポライターの安田峰俊さん

【渡邉】漢王朝における位は、劉備が左将軍で、馬超は自称とはいえもっと偉い征西将軍です。すくなくとも馬超の主観では、本来は劉備と同格以上の存在だと思っていたでしょう。

【安田】経営不振で他社に買収された企業の元社長みたいな位置づけですね。

【渡邉】いっぽう、黄忠の場合は逆。本来は関羽・張飛と比べて格下の存在ですが、彼には定軍山の戦いで漢中を得た軍功があるんです。漢中は漢の国名のもとになった土地なので、劉備にとって政治的に重要。しかも、劉備軍が曹操軍に勝ったのは、史実では定軍山の一回だけですから。

【安田】馬超も黄忠も、主君である劉備と「侠」的な人間関係はなかった。というより、本来ならそれが当たり前で、国家の主である劉備と関羽・張飛たちとの関係のほうが異色です。コーエーのゲーム『三國志13』ですと、ゲームの仕様上、他のキャラクターとの親近感を上げていけば「莫逆の友」「義兄弟」になる、絆が強調される仕様ですが(笑)。

【渡邉】私、ゲームの分野にはあまり関わらないのです。歴史に興味を持ってくれる若い人の間口を広げる効果の大きさは理解しているのですが、研究者としてはタッチしづらい。ともかく、曹操や荀彧、周瑜、諸葛亮(孔明)あたりの知識人(名士)たちは、「侠」の世界には生きていませんから、義兄弟の契りを結んだりは、あまりしません。

「暴れん坊将軍」を嫌う中国

【安田】史実とゲームの違いといえば、三国志の人物は、たとえば曹操や周瑜は戦場の前線には出ませんね。日本でいう「暴れん坊将軍」のような人はあまりいない。

渡邉義浩『『論語』 孔子の言葉はいかにつくられたか』(講談社選書メチエ)
渡邉義浩『『論語』 孔子の言葉はいかにつくられたか』(講談社選書メチエ)

【渡邉】文明の周縁たる日本の場合、刀を持つ武士が社会的な階層の上に立つ。武力と土地が権力の基盤ですね。ヨーロッパでも似たところがあります。ただ、中国は「文」化の国ですから、君主は武の頂点ではなく文の頂点でなくてはならない。たとえば曹操の「武」とは、個人的に刀を振るうことではなく、『孫子』に注をつけることです。

【安田】中国共産党の総書記も、中央軍事委員会主席を兼任する「武」のトップでもありますが、演説で古典を引用したり揮毫をやったり「文」の顔を強く前面に出しています。国民党の蔣介石も、軍人でしたが文化的な顔を表に出していました。通じる面がありそうです。

【渡邉】詩を賦し、政策を論じ、志を語る。それが中国の君主に求められる振る舞いである点は、蔣介石であれ毛沢東や習近平であれ変わらないと思います。