609年完成の釈迦如来坐像「飛鳥大仏」は座高3mの端正な佇まい
飛鳥寺は588年、蘇我馬子が発願し、推古天皇の時代である596年に創建された。大阪の四天王寺と並ぶ日本最古の寺院である。
※ちなみに、「最古の木造建造物」である法隆寺は607年完成。また、「伝承上の最古の仏像」は、朝鮮半島から日本に渡来した最初の仏像、一光三尊阿弥陀如来像。長野・善光寺に祀られているとされているが、それは「絶対秘仏(ご開帳されることがない)」のため現存するかどうか、その存在も含めて調査できない。
飛鳥寺の全容が判明したのが、1956年の発掘調査においてのこと。その結果、創建当時の寺域は南北320メートル、東西が210メートルあり、現在の飛鳥寺のおよそ20倍の規模があったとされた。
塔を中心にしてその東西に金堂が建てられ、塔の北側に中金堂を置いた。それらを回廊がぐるりと取り囲み、回廊の外に講堂があった(飛鳥寺式伽藍配置)。日本でも初めての本格的寺院の建設とあって、朝鮮半島の百済から大勢の建築技師や僧侶が派遣された。その中には瓦職人もいた。飛鳥寺は日本における瓦建築の第一号でもある。
創建当時、飛鳥寺は法興寺、元興寺などとも呼ばれた。平城京遷都の際には、飛鳥寺は2つに分離した。移転したほうの寺院は、現在の元興寺(奈良市)となっている。そのまま残り続けたほうが現在の飛鳥寺だ。
飛鳥寺の本尊は、創建とほぼ同時期に鋳造された釈迦如来坐像だ。609年に完成。通称、「飛鳥大仏」と呼ばれている。座高3メートルの端正な佇まいだ。建立当時は光背がついており、三尊仏(文殊・普賢菩薩とのセット)を構成していた。
手掛けたのは渡来系仏師である鞍作鳥(くらつくりのとり、止利仏師)。鞍作鳥の作例としてはほかに、法隆寺金堂釈迦三尊像(国宝)がある。飛鳥大仏は銅15トンが使用され、当時は表面には金30キログラムを使って鍍金が施されていたとされるが、今ではすっかりはげてしまい漆黒の肌をしている。
飛鳥大仏は現在、国宝指定の最有力候補
飛鳥大仏は面長の顔、アーモンド型の目、そしてアルカイックスマイルと呼ばれるほほ笑みが特徴だ。アルカイックスマイルはギリシア彫刻に見られる表情で、シルクロードを伝わって日本にその意匠がもたらされたと考えられている。つまり、飛鳥寺(や法隆寺)はシルクロードの東の最果ての聖地でもあるのだ。
日本仏教史、あるいは仏像史上、極めて重要な地位を占める飛鳥大仏だが、先述のように文化財としての指定は国宝ではなく重要文化財である。
その理由は、戦後の文化財保護法施行時、額や右手3本の指、左耳などの一部以外は後世に作り直されたものと判断されたからだ。確かに、記録では飛鳥寺は平安、鎌倉時代に火災に見舞われて焼失。仏身の大方が溶けてしまったと考えられていた。
しかし、2012年、早稲田大学学術院の研究チームがX線を使った分析調査を実施したところ、「造立当初の箇所と鎌倉時代以降に修復したとされる箇所の銅などの金属組成には際立った差異が見られず、仏身のほとんどが飛鳥時代当初のままである可能性が高いことが判明」(早稲田大学学術院)したという。
2016年には大阪大学や東京都文化財研究所などがさらに詳細に調査を加えた。すると、顔の部分はほぼ建立時のオリジナル、体は鎌倉時代の火災で溶けたものを再利用して鋳造され直された可能性が高いとする発表がなされた。
仮に頭部だけがオリジナルだったにせよ、「山田寺の仏頭(興福寺蔵)」のように国宝指定されている例がある。飛鳥大仏は十分、国宝になる可能性を秘めており、一転、国宝指定の有力候補になっている。