「聖徳太子が祈っていた同じ場所で、現代人も拝むことができる」
文化財としての価値はさることながら、飛鳥大仏の宗教性も見逃すことはできない。そのうえで重要なのは、調査では台座の石(兵庫県産龍山石)が創建時から一切、動かされていないことが判明したことだ。飛鳥大仏は奈良時代に据え置かれてこのかた、ずっと同じ場所で祀られ続けているのだ。
飛鳥寺の植島寶照住職は、「大仏が動いていないということは、かつて、聖徳太子が祈っていた同じ場所で、現代人も拝むことができるということ。そこに有り難さを感じて手を合わせてもらいたい」と話してくれた。
つまりは、古寺の存在意義は、建物や仏像だけではなく、「信仰空間」にあるということなのだ。大仏自体は動かず後世、仏殿が再建された。したがって、外に出すことができず、美術展に貸し出されたことも一度もないという。
詳しくは拙著『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)を手に取っていただければ幸いである。本書は飛鳥寺のように、すべての都道府県に1つの寺院を紹介し、その秘めたるエピソードを紹介している。