なぜ、医療の現場の声を聞かないままものごとを進めるのか

さて、この連載のテーマは「賢い人をバカにするもの」ということだが、今回は現場の声を聞かないという問題を提起したい。

ここまで述べてきたワクチン接種の混乱が生じた理由をひとことで言えば、役人やアドバイザーの感染症学者、ワクチン学者が現場の声に耳を傾けなかったために生じたものだ、と私は考えている。

なぜ、現場の声を聞かないのか。この傾向は今回のコロナ禍に限ったことではない。日本という国は、実績より肩書で人を判断することが多い。そして、そうした肩書人間が現場を無視して決めてしまい、失敗するケースが目立つのだ。

私は医師の傍ら、通信教育事業にも携わっている。そのため、これまで文部科学省が進めてきた教育政策の問題点を肌で感じている。

以前、PISA調査などの国際学力調査でトップクラスの常連だったフィンランドに視察に行ったことがある。同国のことを世界一の義務教育国と評する人もいる。視察の際、もっとも心に残ったのは、この国の国家教育委員会は3年以上の教員経験がないとそのメンバーになれないということだった。

典型例は「ゆとり教育」現場無視の作った理論は失敗する

その点、日本は正反対だ。

小学生
写真=iStock.com/recep-bg
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日本には以前、東京教育大学という大学があった。この大学教授も半数は教員経験者だったと言われる。当時、教育現場をよく知る専門職の彼らが、文部科学省における小中高の学校教育関連の審議会メンバーとしてその場を仕切っていた。

審議会メンバーには、他にも、教員経験がある人がほとんどいない東京大学教育学部などの教授たちもいたが、議論で太刀打ちできなかった。結果的に言えば、東京教育大学の教授が国家の教育方針の土台作りをしていた1980年ごろまでは、日本の小中学生の数学力などは世界でトップだった。

しかし、どういうわけか、この大学は廃校となり、筑波大学に改組された(廃校は、東大教授と東大OB文部官僚の陰謀ではないかとの説もある)。

その後、教員経験のない東大教授たちが教育の世界で主導権を握り始め、進めたと言われるのが、あの悪名高い「ゆとり教育」だ。必修科目の単位数を減らして休みを増やし、子どもがゆとりある生活をすることを目指す改革で、知識暗記中心の授業を改めて、体験型学習を導入したことなどが特徴だ。

授業料や学習量の削減が学力低下を生んだことで、結局、失敗と総括されて方針転換を余儀なくされたが、「総合的学習の時間」「観点別評価」は今も残っている。

観点的評価は、内申書(調査書)におけるペーパーテスト学力の比率を下げ、教師の主観でつける意欲・態度などの比率が75%という高率の採点方式。この採点方式は、なるべく不公平がないようにと努める教員にかなりの心理的負担になるだけでなく、それを生徒の贔屓や管理に使う悪い教員の武器になっているところがある。それにより生徒も常に教師の目を気にしないといけなくなった。この制度が導入された1993年以降、生徒間暴力、校内暴力、不登校、そして生徒の自殺も増加傾向を続けているのは、そうしたストレスが要因になっていると指摘する人もいる。

教育学者たちの理論では、ゆとり教育や総合的学習、そして観点別評価が生徒の意欲や創造性、生きる力を伸ばすことになっていたが、実際にはアジアの高学力の国のほうが、起業や創造的な新製品の開発、そしてインパクトファクターの高い雑誌への論文掲載数が多い。

そろそろ現場の声を真摯に聞かないと、日本の競争力は落ちっぱなしになるだろう。