グレタさんを真正面から支持する世代がやってきた

この春、御社へやってきた2021年度の新卒社員たちは、いま挙げたようなニュースを学生時代にリアルタイムで見てきて、就職対策の一貫としてもそういった時事問題をつぶさに研究してきた若者たちだ。なんなら、卒論テーマがそのあたりという人だらけだ。

小学校時代から環境問題を教えられ、給食のあと始末や掃除だってクラスで毎日徹底的にごみ分別して育ってきたのだ。私たちが円周率は3.14で平安遷都は794年だと教えられたのと同じレベルで、彼らにとって環境問題への取り組みは当たり前であり、気候変動は地球の課題である。どこかの国の前大統領が「気候変動はフェイク」なんて言ったり、その発言に「そうだ!」と乗る大人たちがSNSで嬉しそうに騒いだりするのを、「バカな大人たちがいるなー」と冷静にスルーしてきたのだ。

グレタ・トゥンベリさんの「How dare you!」にびっくりしたりせず、「ああ、スウェーデンの子なんだな」「国連まで行って、自分の声を世界に届けたなんてすごい」と、ものすごく素直に真正面から支持する世代である。仮にグレタさんの様子や主張にちょっと特異なところを感じたとしても、それで足を引っ張ったりしない。「そういう子なんだ」と、多様性を理解して受け止める。人間的には未熟どころか、めちゃめちゃ成熟しているのである。

アルファベットが書かれたキューブの並びで「SUSTAINABLE」の文字
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四大卒なら、たとえば入学してすぐに#metooの洗礼を受け、キャンパス内におけるセクハラの何たるかをしっかりたたき込まれ、次々と報道されるサークル不祥事による大学側の指導もあって「学生的な乱痴気騒ぎ」に対しては「アウトだし、都会でちゃんと遊び慣れてない感じでカッコ悪い」と冷めた視線を持ってきた。学生時代に誰かと付き合うにせよ、配慮のなさは「ハラスメント」になり、合意のない性交渉は「性暴力」や「デートレイプ」になるのだと教えられてきた。誰もが異性愛を当然だと思っているわけではないという知識もあり、人権意識も高いから、友人同士の付き合いにも相手への配慮と敬意を失わない。わきまえるという話をするなら、どこかの高齢政治家よりもよほど人間的にも社会的にもさまざまなことを「わきまえている」。

「野蛮な昭和」とは常識が違うスマートさ

そもそも、小学校の時だって出席番号は男女混合で50音順、男子でも女子でも先生からは平等に「〜さん」と呼ばれ、まさか呼び捨てされるようなことなどなく育った。50音順でまず男子が1番安藤君から25番渡辺君まで、そして26番からようやく女子の相田さんが始まったり、ちょっと朝礼で私語があった程度で「そこ、うるせえぞ山田!」と怒る教師に殴られたりケツバットを喰らったりした野蛮極まりない昭和とは「常識が違う」のだ。

まして、今年の新卒組にとって大学生活最後の1年は「コロナイヤー」であった。授業も就活もほぼ全面オンライン化され、地方出身の学生は実家へ帰ることもままならず、飲食店や学習塾などでのアルバイト収入は減り、友人との付き合いも飲み会もオンライン。もちろんそんなデジタルシフトはSNSで友達に聞きながらささっと指先一つで終了、戸惑いなんかない。そんな彼らの隠れた悩みは、「目上の大人に電話で話すのが苦手」というかわいいものである。だって電話なんてレガシーな伝達ツール、基本使わないから。

大学でちょこっと教える筆者、就活中の学生や、秋学期に対面授業を履修してそっとキャンパスへ戻ってきたごく数名の学生に「大変だねぇ」と声をかけてみた。彼らの返答はほぼ一律でこういうものだ。「仕方ないですよね。この1年、みんな同じ条件ですから」。自分たちの学生生活はこういうものであってこれしか知らない、他の世代と比べたってしょうがない、と、彼らは達観していた。

若くして、スマートなのである。