自分を「まっさら」にして身体の声を聞く
自分の身体の異変に気づいて、例えばがんかもしれないと思ったとき、ネットで検査して、「10万人に1人」という数字が出てきたとします。確率が低いので、「これは違うな」と思うかもしれません。身体に異変を感じていながら、それを無視する結果になるので、これは危険です。
私がさんざん悩んだ末に病院に行くことにしたのは、体調が悪くてどうしようもなかったからです。病院に行く前の3日間は眠くて眠くて、ほとんど寝てばかりいました。それが身体の声だったのでしょう。
動物は意味ではなく感覚だけで生きています。猫が日当たりのよいところにいるのは、そこにいるのが気持ちよいからです。すべての猫を見たわけではありませんが、少なくともうちの猫(まる)は正直です。そこにいたいからそこにいる。身体の声に従って生きているのです。
ただ、身体の声を聞こえるようにするには、自分が「まっさら」でなければなりません。私は花粉症がありますが、症状がひどくても、これまで薬は飲まないようにしてきました。薬で症状を抑えてしまうと、身体の声が聞こえなくなるのではないかと思うからです。
しかし、今回のように病院に行って、医療システムに取り込まれてしまうと、医者が出す薬を飲まないわけにはいきません。退院後は仕方がないので、処方された薬を毎日きちんと飲んでいます。身体は自分だけのものではないので、これまた仕方がありませんね。
これからも医療とは距離をとって生きていく
なぜ病院に行きたくないのか、いろいろ理屈を言ってきましたが、今回は医療に助けられたことに感謝はしています。しかし、原則として医療に関わりたくないという気持ちは今も変わりません。
中川さんも言っていましたが、受診の予定を2020年6月ではなく7月にしていたら、もはや生きていなかったかもしれません。
そもそもかつての東大病院というのは、どこの医者に診てもらっても匙を投げられ、「最後の望み」として患者さんがやってくる病院だったからです。
とりあえず、今回は生きて帰ってきました。それどころか、病院嫌いの私が再び入院して、白内障の手術も受けました。
おかげで、メガネなしで本が読めるようになりました。本を読むのが仕事の一部なので、これはとても助かっています。
ただ、白内障の手術を受けたことで、中川さんなどは私の医療に対する考え方が変わったのではないかと言っていますが、実は何も変わっていません。
これからも、身体の声に耳を傾けながら、具合が悪ければ医療に関わるでしょうし、そうでないときは医療と距離をとりながら生きていくことになるでしょう。