※本稿は、養老孟司、中川恵一『養老先生、病院へ行く』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。
統計が優越する現代医学
今回の心筋梗塞による入院体験を経て、現代の医療をどう思うかと何度か訊かれたように思うけれども、その根本を考えたいとしばらくの間思っていました。でもなんだか面倒くさくなってきてしまいました。
一番のもとにあるのは、「統計」というものをどう考えるかという点です。
社会全体もそうですが、現代の医学は統計が優越しています。統計は数字で、数字は抽象的です。では抽象でないものとは何か。感覚に直接与えられるもの、『遺言。』(新潮社)ではそれを感覚所与と書きました。『遺言。』を書いた時点では、その程度で話を済ませましたが、その後あれこれ考えたら、感覚所与と意識の間の関係をもっと煮詰めないといけないと思うに至りました。
統計に関する本を集めて、基礎からあらためて勉強しようと思ったけれども、この本(『養老先生、病院へ行く』)にあるように、私は心筋梗塞を起こしたし、その背景にあるのは強い動脈硬化です。それなら当然、脳動脈も十分に硬化しているに違いありません。
その壊れかけた脳みそで、統計の基礎のようなややこしい問題を考えても、不十分な思考になるに決まっています。気を取り直して頑張ってみても、脳がさらに壊れるだけのことかもしれません。年寄りの冷や水でしょう。
統計データは「個人の差異」を無視する
私はタバコを吸っていますが、喫煙者はがんになりやすいというデータがあります。57歳のときに肺がんが疑われたことがありますが、当時はタバコを吸っていたので、検査の結果が出るまで、その可能性はあると覚悟していました。結局、肺がんではありませんでした。
がんになる要因は1つではありません。発症する現実の仕組みは複雑です。にもかかわらず、がんを予防するためには複雑化を取り払い、単純化して因果関係を絞り込んでいるように思われます。
統計で得られたデータというのは、そのように使うことも可能ですから、場合によっては、原因を1つに特定することもできます。
人間を喫煙者と非喫煙者に分けて、どちらががんの発症率が高いかどうかを調べるとします。その結果、タバコを吸う人のほうががんになる確率が高いことがわかります。これによって、喫煙とがんの因果関係が「実証」されるわけです。
統計というのは、個々の症例の差異を平均化して、数字として取り出せるところだけに着目してデータ化します。逆にいえば、統計においては、差異は「ないもの」として無視しなければなりません。