これまで信じていたものが壊れてしまった

私自身も、当時の大蔵省との仕事上の関係が深かったため幾度となく東京地検で取り調べを受け、しかもそのかたわらで倒れゆく銀行を支えなければならないという二重苦の中、「これは絶対になにかの間違いに違いない、明日の朝、目覚めたらこれまでのことは全て悪い夢だったとなるに違いない」と信じていました。

しかし、銀行が倒産する、あるいは自分が逮捕される悪夢にうなされて夜中に飛び起きるという日々が続き、最終的には元上司が逮捕されることになります。こうしたことで、私の中でこれまで信じていたものが壊れてしまい、自分のこれまでの生き方や日本の金融のあり方、それから公権力としての検察のあり方に対して根本的な疑念を抱くようになっていきました。

深夜2時の時計と不眠に苦しむ男性
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この一連の汚職事件の中で、結果として贈賄側から数多くの逮捕者を出すことになりました。同時に、監督対象である金融業界からの過剰接待やそれに絡む汚職が明らかになり、「省庁の中の省庁」といわれた大蔵省のキャリア官僚が逮捕され、多くの幹部の処分・更迭が行われました。また、「銀行の中の銀行」である日本銀行でも、情報漏えいで現役幹部が逮捕され、その陰で多くの関係者が自死に追い込まれました。

金融業界から身を引き、デベロッパーに転じた

こうした出来事が、結果として今のメガバンクの誕生など金融再編につながるのですが、本件については、もう二十年以上も前のことであり、もはや覚えている人も多くはないと思います。

当時の私の心境については、今は新生銀行となっている当時の日本長期信用銀行の執行役員だった箭内昇氏の『元役員が見た長銀破綻』にある一節が、最も的確に代弁してくれています。

結局、完全に迷走していた金融業界が政府の介入によって少しずつ落ち着きを取り戻してきたタイミングで、私は興銀を辞めて、グローバル金融の総本山であるゴールドマン・サックス証券への転職を決意しました。金融の本質とはなにかを見極めながら、改めて自分の人生を振り返ってみることにしたのです。

そこで考えに考え抜いた上で、もう一度人生を一からやり直そうと考え、金融業界から身を引くことを決意しました。そして、実体がなく掴みどころのない金融業から、実体があり仕事の成果が最もよく目に見えるデベロッパーに転じることにしました。

これで少しは落ち着いて、長期的なビジョンに基づいた仕事ができると安心したのも束の間で、結局、ちょうど前回の金融危機から十年後に、森ビルの財務責任者として再び金融危機に直撃されることになったのです。