「相手方の主張の欠如は問題にされなかった」と朝日社説
次に朝日社説。「高度情報化にグローバル化、さらに感染症の蔓延も加わり、将来の日本、そして世界の姿を見通すのは容易ではない」と書き出した後、学習指導要領改訂について触れる。
「来年春から実施される高校の学習指導要領は、そうした時代状況を背景に、多様な人々と協働しながら変化を乗り越え、持続可能な社会の『創り手』となる人材を育てることを、教育の目標にかかげている」
ここまでは分かる。問題はこの後のくだりである。
「ところが、きのう文部科学省が発表した高校教科書の検定内容は、この理念と現実との乖離を浮かびあがらせた。領土問題を中心に、政府見解に基づく記述にするよう書き直しを迫る検定意見が目につく一方で、相手方の主張に関する記述がないことは問題にされなかった」
「政府見解の掲載自体を否定するものではない。しかし『多様な人々との協働』を図るには、その人々の考えや価値観を知る必要がある。違いを認識したうえで意見を交わし、理解を深め合う。センシティブな問題ほどそうした姿勢が求められよう」
何が「相手方の主張に関する記述」だ。どう「違いを認識したうえで意見を交わし、理解を深め合う」というのか。朝日社説は本気でこうしたことを考えているのか。驚かされるばかりである。
日本はしっかり主張して自国の利益を守るべきだ
「センシティブな問題」とは慰安婦や領土の問題を指しているのだろうが、反日で塗り固まった韓国の文在寅大統領や尖閣諸島周辺の領海への侵入を繰り返す中国の習近平国家主席、それに北方4島を軍事要塞化しているロシアのプーチン大統領を相手に、彼らの主張を理解しようとすること自体、時間の無駄だろう。
文在寅大政権も習近平政権もプーチン政権も、自国の利益を最優先に日本と交渉する。それが外交というものだからだ。日本はアメリカとがっちりと手を組んで言うべきことはしっかり主張し、相手国の間違ってるところはきちんと指摘し、国益を守るできである。
朝日社説はこうも主張する。
「それなのに、検定意見は政府見解を教科書に載せることに躍起で、書かれさえすればそれで良しとする。そんな対応で明日の『創り手』を生み出すことができるのだろうか」
もっともらしい主張に思えるが、今回の新しい高校生の教科書の理念は、生徒が課題を見つけて解決していく「探求学習」にある。検定意見が政府見解に縛られているとは言い切れない。