「電車の中で献立を考える」妻の介護と主夫業をこなす男性の声

前項に記してきたような仕事と介護をめぐる厳しい環境は、おそらく今も昔も変わらぬ実態として存在しているに違いない。が、同時に忘れてはならないこともある。いま政府自らが「介護離職ゼロ」を経済の成長戦略の一つに位置づけ、経済専門誌がこぞって介護の大特集を組み、さらには私たちの「介護退職ゼロ作戦」や「介護離職のない社会をめざす会」という新しい介護運動も登場するような時代の変化も生まれているということだ。

今も変わらぬ厳しい実態の確認とともに、新しい変化の兆しにも丁寧に目を向けていくことが必要だと思う。これらの変化を「仕事と介護」が両立し得る社会を牽引する時代の典型として見た場合、どのような意義を有するかについて少し考察してみようと思う。

次に示す事例は、男性介護ネットが刊行した『男性介護者100万人へのメッセージ』第2集(2010年)に寄せられた一文をもとに、私の責任で要約したものだ。

〈妻の認知症発生から7年、いま「要介護4」のほとんど全介助の状態だ。1年半前からデイサービスを利用しながらなんとか仕事を続けてきた。デイの迎えが来る前は分刻みの忙しさだ。早くに起床し、朝食の準備、食事、片付け、着替え、歯磨き、洗顔、化粧。その間に何度もある妻の「トイレする」の訴えには「丁寧に!」「焦るな!」と言い聞かせている。

デイのお迎えと同時に自分は出社する。終業時間は、デイサービスの終了(午後5時)に合わせて、2時間の休暇を取って早退している。会社には何かと迷惑をかけている。早くから妻の若年認知症のことを告白していたのだが、会社や同僚の理解と協力があってこそだ。帰宅したら、慣れない主夫業。電車の中で献立を考え、買い物して調理。調理していると、「お父さん、疲れない?」「私ができないからね」と妻。「お父さんの美味しいよ」という言葉に疲れも吹き飛ぶ。〉(福本「仕事と介護そして主夫業」より)

1時間の通勤時間が束の間の“休息”

間もなく定年を迎える福本さんは、介護に奔走しながらも1時間の通勤時間を束の間の“休息”時間としてなんとか仕事をこなしていた。屋内徘徊がエスカレートして、さらには壁やドアを激しく叩き出すこともあってそんなときにはもう朝まで寝ることはできない。それでも仕事は休めない、とつらさを吐露する場面も記してあったが、「私もつらいけど、本人はもっとつらいのです」と妻に寄り添う。

十分とは言えない職場の支援や介護サービスの環境ではあったに違いない。それでも、仕事が介護ストレスを軽減してくれ、また介護がこれまでとは違う妻との新しい関係を実感する場にもなった、とも言う。「働きながら介護する」ということにこれまで尊重されることもなかったような働き方、生き方の豊かなモデルが内包されていると思うのは私だけではないはずだ。とりわけこの事例が示している働きながら介護するという「ながら」の介護の持つ今日的な意味について補足しておこう。