昇進を待ち望むような精神状態におちいっていく

記録を家に持ち帰る場合には、なくすと大変なことになるから、電車の中でも気が抜けない。大きな記録を風呂敷等に包んで網棚に載せていて貴重品と思われ盗まれる例があるためだ。

こうして何年も単調な生活を続けるうちに、多くの人々は、次第に、地家裁所長や高裁長官になって、記録から解放されてほっと一息つけ、同時に居並ぶ裁判官や職員たちから頭を下げられる時期を楽しみに待つような精神状態におちいってゆく。

しかし、そうした管理者裁判官としての期間も、確かに昼間は楽だが、夜はあちこちと会合に引っ張りまわされ、あいさつと宴会の連続なのである。また、最高裁や上位の裁判所からは、管理者として有能かどうか、裁判官や職員をきちんとコントロールできているかを監視され続けている。だから、権力をもつことを好む人間以外にとっては、それほど楽しいわけではない。

法廷と小槌
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転勤がとにかく多い裁判官の異動

日本の裁判官の特異な精神構造の形成に大きく影響しているのが、官舎生活だろう。人間は要するに意識をもった動物にすぎないのだから、その精神生活も、身近な環境から大きな影響をこうむることは否定できない。

日本の裁判官生活になぜ官舎がつきものかといえば、日本の裁判官には異動、転勤がつきものだからである。そして、実はこうした裁判官の異動、転勤は、日本特有のものなのだ。少なくとも欧米では、裁判官は「空きができる裁判所の裁判官」として任用されるのであって、原則として異動はしない。

裁判官のこうした異動システムは、これも後に論じるが、裁判所当局にとって、裁判官たちを地域社会から隔離し、かつ、いつどこへ転勤させられるかわからない根無し草の不安な状態に常時置いておけるという意味で、きわめて都合のよいものなのである。

裁判官は、3、4年程度で転勤を繰り返す(なお、検察官は、より異動の頻度が高い)。東京中心に勤務する裁判官でも、事務総局等の勤務が特別に長い人でない限り、裁判長になるまでに、3回ぐらいは地方に出る。これでも往復で6回の転勤になる。多くの裁判官ではそれ以上であり、8つある高裁管内のうち6つ、7つまでまわったという人も少なくない。「自分はずっと特定の地方勤務でいいからなるべく遠方には動かさないでほしい」といった希望すら、若いころには絶対に聞き入れられない。