心臓外科医が、父を心臓病で亡くす痛恨体験

心臓外科医の道を志したのは、私の父が心臓弁膜症をわずらっていたからです。私が高校2年生の頃から体調がすぐれなかった父は、心臓にある4つの弁のひとつである僧帽弁そうぼうべんが本来の働きをせず、心不全を繰り返す状態が起きていました。

医学部2年生のときには、弁を人工弁に取り換える手術を行いましたが、いずれ再手術が必要になることもわかっていました。人工弁は執刀医の判断で生体弁(ブタの弁を加工したもの)が選ばれたため、年月の経過で劣化するからです。

「そのときは、自分の手で父を助けたい……」

そうした気持ちの芽生えが、心臓外科医の道へ向かった最初のきっかけです。けれど、三度目の手術で、66歳だった父は帰らぬ人となりました。

二度目の手術では父をみずから助けたいと思い、第一助手として手術に臨みました。しかし、状態が悪化した三度目の手術のハードルは高く、当時の私の技量ではたずさわる自信もありません。家族として見守るのが精一杯でした。

上司からの「クビ宣告」が「天職」の道を拓く

大きな喪失感のなかで、私は当時働いていた病院もやめることになりました。技量はまだまだなのに、口だけは一人前、上司から事実上の「クビ」を言い渡されたのです。いいようのない挫折体験でした。

それでもひたすら腕を磨き、心臓外科医として前へ進むことができたのは、手術によって見違えるように元気を取り戻していく患者さんたちの笑顔のおかげでした。

「心臓の詰まるような感覚がなくなって、ちゃんと胸が高まるようになったよ」。そう患者さんに言ってもらえることは素直にうれしいこと。

心臓が元気になるということは、その後の患者さんの人生を快適に変えることにもつながっています。患者さんに寄り添うことの使命感と、患者さんの人生に自分の手術が役立っているという充実感は、「きょうよりも明日は少しでも前進しよう」というモチベーションになりました。

人の役に立つ喜び──心臓外科医はまさに私の天職なのです。

なぜ上皇陛下の心臓手術をまかされたのか

2012年2月、上皇陛下(当時の天皇陛下)の狭心症きょうしんしょうの治療のための手術を執刀いたしました。上皇陛下は冠動脈の太い血管のうち2本がせまくなっている状態で、とどこおっている血流の再建のために、体の別の血管をつないで血液がしっかり流れるようにする迂回路うかいろをつくる「冠動脈かんどうみゃくバイパス手術」が必要でした。

一介の外科医である私が、なぜ執刀をまかされたかといえば、それは私が心臓を止めずに、人工心肺装置も使わずに冠動脈バイパス手術を行う術式「オフポンプ術」の先頭にいたからでしょう。

父の死と、その直後のクビ宣告を受けてからの私は、「患者さんをより安全な状態で手術し、より確実に回復へ導く手術」を模索していました。そんななかで1996年頃から取り組み始めたのがオフポンプ術でした。