2万店舗を目指しASEAN諸国への進出を目標に掲げる

「1000店など実現できっこない。大ぼら吹きだ」と思う人も多かったが、その27年後の2012年4月、「里塚緑ヶ丘店(札幌市)」を開店し、これが記念すべき1000号店となった。夢を現実のものにしたのである。

実現不可能とも思える大きなビジョンを掲げ、その夢の実現に向けて邁進まいしんすることがツルハの企業文化である。社史である『ツルハの80年』で、鶴羽肇氏は「If you can dream, you can do it(もし、あなたが本気で夢を描くことができるなら、その夢はすでに実現されたと同じである)」という言葉を残している。

まさにツルハは「ビジョナリーカンパニー」なのだ。2012年に1000店を突破したツルハは、次のビジョンとして「25年後、全世界に20倍の2万店舗を目指す」と発表した。すでに出店しているタイを拠点に、ASEAN諸国へ店舗網を拡大するという新たな壮大な目標を抱いている。

1997年に、2代目社長・鶴羽肇氏の実弟である鶴羽たつる氏が3代目の代表取締役社長に就任してから、ツルハの驚異的な成長が始まった。昭和時代のツルハは、業態としての確立の機が熟しておらず、試行錯誤の連続だったが、1990年代半ばから始まった第2次成長期に飛躍的な発展を遂げた。

「現場主義」を徹底した3代目社長

とくに1995年10月に東北一号店「幸町店(秋田県)」を開店し、第2の商勢圏に大量出店を開始したことが、ツルハの飛躍の大きなきっかけになった。鶴羽樹社長が就任した1997年の店舗数は160店と、1985年の50店と比較すると、思ったほど店舗数は増えていない。

1997年当時は、とてもではないが20倍の1000店の到達は不可能なように思えた。しかし、それからわずか15年間で、1000店を突破した。その後、初期からの幹部である堀川政司氏が4代目の社長に就任しても快進撃は続き、遂に2019年には2000店を突破した。

ビジネス立ち上げアイデア
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1000店から2000店になるのに要した期間は、わずか7年である。ツルハは、昭和時代の長い助走期間を経て、まるで階段を3段飛ばしで駆け上がるかのように、平成時代に爆発的な成長を遂げたドラッグストア企業なのだ。

鶴羽樹氏は、「現場主義」の男である。『ツルハの80年』で、鶴羽樹氏は「現在のように店舗数が多くなると、本部が企業経営を仕切っているように思いがちだが、それはまったくの錯覚である」と語っている。

また、母であるヒサ子副社長(当時)から、「小売業は店あってこその小売業であり、そして店に置く商品がなくてはならない。だから店はいつもきれいにし、問屋さんを大切にし、同時にうそをつかない、約束を守ることが大切だ」と重ねて教えられたという。

現場責任者である店長の役割については、「一つ目は、店内のさまざまな作業とルールを体得すること。二つ目は、社員との対人関係を良くすると同時に、お客様に信頼されるようになること。三つ目は、商品の陳列場所を覚え、商品知識を身につけることです」と語っている。