ミャンマー「建国の父」がスー・チー氏の父親

ミャンマーはかつてビルマという国名だった。小説『ビルマの竪琴』でも知られている。1989年に当時の軍事政権が「ビルマは英語読みだ」と主張して国名をミャンマーに変え、同時に首都ラングーンも現地読みのヤンゴンに改められた。2006年には首都が内陸部のネピードーに移されている。

ミャンマーは日本との交流が深い。太平洋戦争中には日本軍が独立を目指すアウン・サン氏らビルマ独立義勇軍とともにイギリス軍と戦って英領ビルマを攻略した。

しかし、日本軍による軍政が敷かれ、ビルマは独立できなかった。そこでアウン・サン氏らはイギリス軍に協力を求めて日本軍と戦い、1948年に独立を果たす。その後、「建国の父」と尊敬されたアウン・サン氏は暗殺される。このアウン・サン氏がスー・チー氏の父親なのである。

軍事政権と民主化運動との対立がミャンマーの歴史

その後、スー・チー氏はインド大使に任命された母親に連れられてインドに渡り、ガンジーの非暴力運動に感銘を受ける。後年の反軍事政権の民主化運動では非暴力主義を貫き、1991年にノーベル平和賞を受賞する。

スー・チー氏はイギリスのオックスフォード大に留学した後、客員研究員として日本に渡って京大で父親と日本の関係について研究している。日本語もできる。

ビルマは国内での民族対立と中国やカンボジア、ベトナムの共産主義の影響を受けて政権が安定せず、1962年には軍事クーデターによって軍事政権が誕生する。この軍事政権に対し、1988年に民主化運動が起こり、スー・チー氏が運動のシンボル的存在になる。

民主化運動は軍事政権を倒すが、再び軍事クーデターが起こり、軍事政権はNLD(国民民主連盟)を組織していたスー・チー氏を拘束する。それ以来、スー・チー氏は20年以上も断続的に自宅に軟禁されてしまう。ミャンマーは軍事政権と民主化運動との対立を何度も繰り返してきた国なのである。

スー・チー氏のNLDが2015年の総選挙で勝って政権を掌握するようになると、国軍側も民主化を認めるようになる。しかし、昨年11月の総選挙で、NLDが再び圧勝すると、ミャンマー国軍は勢力を巻き返そうと、今年2月1日にクーデターを起こして政権を奪取し、現在に至っている。