4 無批判の罪
ネット右翼には、当然様々な職種や相応の人生があり、決定的に「こうだ」ということはできないものの、巨視的にみれば明らかにこのような傾向があることは事実だ。すべてに共通するのは、経済的余裕と時間的余裕の二つ。それから、人文科学系統の分野や文化的教養への接触を、青年期やその後の期間に怠っていたか、少なかったという事である。
人間は、世の中への俯瞰的・体系的な理解を書籍やメディア、自身の経験などによって長い間かかって蓄積していく。人間の情報受容力は有限であるから、溢れる情報に対して取捨選択が必要となる。その場合最も重要なのは、「この情報や言辞を批判的にみるべきである」という懐疑の姿勢で、すべてを信用に足るとして受け入れてしまえば、限られた情報受容力はすぐ、特定のイデオロギーや急進的な思想によって埋め尽くされてしまう。
ネット右翼は「優等生的」に人生を歩んできた中産階級
ある対象を批判的にみる、という知的懐疑は、人文科学系統の分野や文化的教養への接触の濃淡によって決まる。なぜなら人間の社会や歴史は常に権威や権門への反抗と対立の繰り返しであり、あるいは階級間の軋轢だったからである。そしてそれがプロパガンダでない限り、自由社会におけるあらゆる文化的存在には基本的に社会への皮肉や批判的文脈が含まれているからだ。
これを濃密に摂取しない人生は、極めて垂直的でしいて言えば真面目で、円滑で対立のない企業の経済活動にとってはプラスとなるが、批判的精神を育まない。つまりネット右翼は、このような「優等生的」に人生を歩んできた中産階級であるともいえる。
冒頭で『はだしのゲン』に登場する、ゲン一家を迫害する鮫島伝次郎を示した。鮫島は権威や権力を批判的にみない従順な軍国主義者として描かれているが、日本が敗戦し戦後を迎えると「反戦平和主義者」に180度転向した。しかしゲンは、それを欺瞞であると喝破する。「鬼畜米英が反戦平和になっただけ」と作者の中沢はゲンに言わせる。鮫島を現代に転生させてネットを与えれば、彼はすぐさまネット右翼になる危険性をはらんでいる。