2020年シーズンを最後に、「火の玉ストレート」を武器にプロ野球界に鮮烈な記憶と記録を残した藤川球児氏が現役を引退。阪神でのクローザーとしての活躍、メジャーでの挫折、そして、心ない声に奮起してのNPBでの復活……。引退した今、仲間たちやファンに初めて明かす「真実」とは──。(第1回/全2回)

*本稿は、藤川球児『火の玉ストレート』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。

プロ野球・阪神-巨人/力投する藤川
写真=時事通信フォト
9回に登板し、力投する阪神の藤川球児投手(甲子園=2020年11月10日)

唯一気にしていたのは「防御率」

「JFK」という継投パターンが確立した2005年以来、リリーバーとして実績を重ねてきた僕は、ありがたいことに、タイトル争いや記録においても、それなりの足跡を残すことができるようになった。

だが、個人記録を気にしたことはほとんどなかった。引退したとき、日米通算250セーブという区切りに届かなかったことを惜しんでくれたファンのみなさんには申し訳なく思うのだが、正直なところ、あまり関心はなかった。

ただ、防御率だけは気になった。

2005年からメジャーリーグに挑戦する前年までの8シーズンで、防御率が2点台だったのは、2010年の2.01だけである。それ以外のシーズンはすべて0点台か1点台で、なかでも自己最高記録となった2008年の0.67という防御率は、われながら価値が高いと思っている。

チームが優勝争いをするなかで、67イニングあまりを投げながら、自責点はわずかに5点である。シーズンを通じて、ほぼ無失点に抑えたという感覚だった。

中日・大野雄大選手に託した記録

2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した2006年は、47回3分の2連続無失点と、38試合連続無失点を記録した。前者は阪神の球団記録で、後者は当時の日本記録だった。

藤川球児『火の玉ストレート』(日本実業出版社)
藤川球児『火の玉ストレート』(日本実業出版社)

いずれも、4月半ばから7月半ばまで、ほぼ3カ月間にわたる連続記録だが、その継続中、記録を意識したことはほとんどなかったし、正直なところ、その過程もあまり覚えていない。

僕の意識としては、スコアボードに0以外の数字が記録されたタイミングの問題でしかなかった。数字と数字の間に0がいくつ並ぶかということより、ひとつでも0を増やすことのほうに関心があった。

そうした記録が若い世代の選手たちの刺激になっているのだとすれば、僕は心から喜ばしく感じる。

2020年、中日の大野雄大選手が連続イニング無失点記録を伸ばして、注目された。残念ながら、45回で記録は途切れてしまったが、敵チームながら、僕に特別な関心をもって、背番号も同じ22をつけてくれただけに、大野選手に追い抜かれる日を楽しみにしていた。大野選手なら、いずれ僕の記録を更新してくれると思う。