功名心や恐怖心が正しい状況判断の邪魔をする

リリーバーには状況を正しく理解し、すばやく判断する能力が求められる。そこに余計な要素が入ると、多くの場合、失敗する。

気をつけなければいけないのは、「自分が、自分が」という要素だ。無意識のうちに入り込みやすく、しかも気がつけば中心にどんと居座っている。

たとえば、先輩投手の最多勝がかかった試合で抑えを任されたとする。「もし、自分が打たれてしまったら……」と考える時点で、すでに自分がその状況における主役になってしまっていることに気づかなければならない。

自分が主人公になると、功名心や恐怖心といった余計なものが、正しい状況判断を阻む。打者との勝負に全神経を集中することができなくなって、望ましい結果につながらないことが多い。

例外があるとすれば、先発投手だけだろう。先発投手は、試合をリードする立場にある。主人公という意識が唯一、許される役割かもしれない。

僕の記録は自分を捨て続けた履歴

リリーバーとしてマウンドに向かうとき、僕はいつも自分がコマのひとつでしかないと意識していた。

僕は、その場面を抑えるという役割を与えられただけの部品にすぎない。その目的のほかに考えるべきことはないし、考えてはいけない。余計なことを考えると、自分が前に出しゃばってくる。そうなると、自分のもつ弱さや欲に足元をすくわれかねない。

僕が個人記録にあまり関心がないのは、そういう意識でマウンドに上がり続けたからでもあると思う。

記録とは、結果である。一つひとつのプレーから自分という不純物を取り除かなければ、プロの世界で結果を残すことはできない。その積み重ねが記録なのだとしたら、僕の記録は自分を捨て続けた履歴といってもよかった。