新型コロナウイルスの影響が続くなか、デジタル・トランスフォーメーション(DX)に注目が集まっている。SBIホールディングスの北尾吉孝社長は、日本における「金融×デジタル」の第一人者だ。コロナ禍にどんな戦略を描くのか。立教大学ビジネススクールの田中道昭教授が聞いた――(第1回/全2回)。

※本稿は、デジタルシフトタイムズの記事「菅政権で加速する金融大再編。金融×デジタルシフトの第一人者、SBI北尾社長の見据える未来を田中道昭教授が読み解く」を再編集したものです。

SBIホールディングス 北尾吉孝代表取締役社長/1951年、兵庫県生まれ。74年慶應義塾大学経済学部卒業後、野村證券入社。野村證券事業法人三部長などを経て、95年ソフトバンクに入社、常務取締役に就任。99年より現職。SBI大学院大学の学長なども兼務する。
SBIホールディングス 北尾吉孝代表取締役社長/1951年、兵庫県生まれ。74年慶應義塾大学経済学部卒業後、野村證券入社。野村證券事業法人三部長などを経て、95年ソフトバンクに入社、常務取締役に就任。99年より現職。SBI大学院大学の理事長兼学長なども兼務する。

金融におけるDXの第一人者

【田中】菅政権が誕生して、金融大再編が噂されています。その中核の一人が北尾社長と言われています。

【北尾】いえいえ、私どもの戦略は金融再編とは方向性が違います。私どもSBIグループは創業してちょうど21年ほどになります。私は大卒で新入社員として野村證券に入り21年勤めて退職しましたから、いよいよここからは、SBIホールディングス時代が野村よりも長くなっていく、そういうタイミングでもあります。

【田中】そうですか。21年とは面白い節目でいらっしゃるのですね。

【北尾】そうですね。その中間地点で、ちょうど私は孫さんに請われてソフトバンクに入った、これが一つの転機でした。ソフトバンクに入り、孫さんからインターネットはいかにすごいものかということを、併せて私自身インターネットと金融は非常に親和性があると確信したのです。

孫さんと出会い、ソフトバンクでインターネットに向けた様々な事業展開をしていこうという、当時はちょうど緒に就くタイミングでした。

【田中】そうですね。今21年という数字が出ましたけど、北尾社長は色々な著作の中でも、「49歳起業」というお言葉をかなり大切にされていらっしゃると思います。なぜ49歳で起業されたのでしょうか?

自分の天命を確信した「49歳」

【北尾】私自身の天命は何か、ということをずっと探しており、孔子でも天命を知るのは50歳ですから、非常におこがましいのですが、私なりに自分の天命を、これだ! と思ったのが49歳だったのです。ちょうどその時に書いた『不変の経営・成長の経営』という本に、私は自分の天命はこれだと書いています。そういう歳でした。

孔子でも天命を知るのに、50歳という歳月を要したのですから、私は当時49、まだ違うかもしれないなと思いながらも、このインターネットの力を借りて、一つ金融の世界に革命を起こそうと。それが世のため人のためになるはずだと。

そして私が野村證券からソフトバンクに移ると言ったら、トータルで60名ぐらい、野村證券の連中が私を慕って来てくれた。そういう人たちに対し経済的厚生といいますか、better off(一層暮らし向きが良くなる)にしてあげないといけない、そういう一つの覚悟を自分なりに持って動き始めた時でしたね。

【田中】昨年7月、SBIホールディングスは、デジタル証券の発行プラットフォームを開発しているBOOSTRY(ブーストリー)の株式を10%取得すると発表しました。ブーストリーの親会社は野村證券ですから、SBIグループと野村證券が接近していると業界では驚きの声も聞かれました。

【北尾】お互いにいろんなことはあるかもしれないけど、僕の方はあまり気にしていることはないですね。お互い利用できるところは利用すればいい。喧嘩していても仕方のない世界ですからね。「オープン・アライアンス」という言葉を僕は使うのですが、今の時代は、昨日の敵は今日の味方くらいに考えて、それぞれの事業基盤をどうやって拡大するか、その一点に絞ってアライアンスをどんどんしていくべきだと思います。