ビル・ゲイツと「次世代」で握手

実は、新しい試みの言い出し役になるだけではなく、それが軌道に乗るまでのフォロー役も務めてきた。前号で触れたように、トラブルの事例と改良内容を記録するだけではなく、なぜそう改良したのか、根拠も残すようにした。後輩たちが、同じようなトラブルに遭ったとき、ただ機械的に同じ改良を繰り返すのではなく、なぜそうなのかを考えさせたい。CADによる配管設計の自動化の際も、部長時代までかけて磨き上げた。

新人時代から担当した原発の配管設計では、すべての機器が最適につながるように、機器をつくる部門からそれぞれの図面をもらう。ただ、それだけでは不十分で、相手のところへ行って、議論し、すべての機器の状況をつかむ。そういう仕事だから、地味ではあるが、原子炉を含めて機器をつくる部署よりも、プラント全体のことを学ぶ。トラブルが起きたときも、問題個所だけではなく、関係する機器まで系統をたどって吟味する。お陰で、「部分最適」だけではなくて「全体最適」を考えるという、経営センスが磨かれた。

40代半ばで部長職になった後、何年先になると原子力本部が赤字になりそうだ、とわかった。原発の世界は時間軸が長いから、先々の仕事量がかなり読める。本部の部長級24人で集まり、部を18に減らすことを決めた。6人が職を失うが、そういうことを自分たちで考える職場になっていたのも、トラブル根拠集に始まる「考える職場」の文化だ。

米国でも欧州でも、続々と、封じていた原発建設に動き出した。その復活ぶりは「原子力ルネッサンス」とまで呼ばれる。日本でも、いろいろなトラブルが重なり、原発建設にブレーキがかかっていた。でも、地球温暖化問題の深刻化で、原子力がクリーンエネルギーであることが見直された。こちらでも「ルネッサンス」になれば、「考える職場」の力が、あらためて試される。

「文籍雖満腹、不如一嚢銭」(文籍腹に満つと雖も、一嚢銭に如かず:ぶんせきはらにみつといえども、いちのうせんにしかず)――お腹がいっぱいなほど蔵書があっても、ひと袋のお金よりも価値はない、との意味だ。中国25史の一つ『後漢書』にある言葉で、いくらたくさん物事を知っていても、実行しなければ大きな価値はない、と説く。

その通りだ。いくら文献に通じていても、実行につながらなければ、会社にも株主にも社会にも、貢献できない。さらに言えば、実行するときにほしいのが、想像力だ。開発や設計の仕事では、製品の姿やつくり方まで考えていく想像力。経営ならば、時代感覚を持って事業構造の構想を描く想像力。それは、ただ思い浮かべるだけでは足りない。たしかに、思いつきでもヒットが打てることもある。だが、やはり考え抜いたうえでの想像でないと、いけない。

昨年11月6日、米マイクロソフトの創業者のビル・ゲイツ氏と会って、100年間連続運転できる「次世代原発」の開発で、協力の道を探ることで合意した。ゲイツ氏は、パソコンやインターネットのソフトで世界の最先端を切り拓いても、まだまだ、実行力も想像力も衰えない。あれでなくては、いけない。いくら実績を上げても、さらに次へと挑戦する気概だ。「文籍満腹」よりも、「一嚢銭」なのだ。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)