零下40度で動くエンジンを
1981年、コマツは「日本品質管理賞」を受賞した。賞は、優れた品質管理(QC)活動を讃えるデミング賞の受賞企業の中から、引き続き総合的品質管理(TQM)を際立って深化させた企業に、与えられている。いわば「品質管理・日本一」の栄誉と言える。70年の第1回受賞はトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)、コマツは6社目だった。
候補企業は、さまざまな審査を受けるが、コマツでは、海外事業本部が手がけていた「環境別特殊仕様」(SAR)と「国別輸出標準仕様」(BES)が注目された。実は、その2つの仕様の生みの親だった。受賞時は40歳。初の海外勤務で米サンフランシスコにいた。審査員らが「コマツは、世の中にないことを先に考える会社だ」と評価したと聞いて、頷いた。「お客の満足度を優先する」――いまでは当たり前の経営理念だが、2つの仕様の実現で、どこよりも先行したとの自負がある。
SARは、低温地の厳寒、高温地の猛暑、砂塵地の砂嵐、高地の低気圧といった厳しい環境条件を克服する仕様だ。BESのほうは、国や地域別の標準基準。どちらも、70年代後半、大型ブルドーザーの輸出を本格化させるために編み出した。
きっかけは、海外事業本部で商品企画を担う販売促進課長になった76年、米国の販売会社にいた先輩からの依頼だ。「カナダの零下40度にまでなる地に、ブルドーザーを納めたい。日本に合わせた製品では、厳寒下でエンジンのかかりが心配。材質に変化が起きる懸念もある。いい対策を、考えてほしい」。最大のライバル企業・キャタピラー社のお膝元で、販売子会社が燃えていた。それに応えたい。開発部門に協力を仰ぎ、見事にクリアする。
その先輩が翌年、本社に戻り、中近東とアフリカ向け輸出を担当する部長になった。すると、今度は、砂塵対策を頼んできた。ブルドーザーは、前部にエンジンが置かれ、その前に冷却用のラジエーターがある。そこへ砂漠の砂塵が飛び込むと、ファンを壊し、ラジエーターの目を詰まらせる。イラン、イラク、サウジアラビアなどの産油国から、掘削した土砂を処理するためのブルドーザーの注文が、どんどん増えていたころだ。何とかしなくてはならない。
現地にいる面々に、砂のサンプルを送らせた。全部で15種類にもなった。ファンに当たる衝撃が大きそうな砂や、ラジエーターの目を詰まらせやすい粘着質の砂を選び、部下たちに分析やテストをさせる。現地の言い分、販売部門の思惑、開発陣の本音。なかなか一致しない声を、事実をもとに調整した。
2つの経験が、「SAR」と「BES」へつながった。どの国や地域の悪条件も、大きくみれば、低温、高温、砂塵、高地の低気圧の4項目に対する対応策の組み合わせで、しのげるはずだ。そう考えた。
「臨事有三難。能見、一也。見而能行、二也。當行必果決、三也」(事に臨むに3つの難きあり。能く見る、一なり。見て能く行う、二なり。当に行うべくんば必ず果決す、三なり)――事に臨み、処理をするについては、3つの難しいことがある。第一は事実をみきわめること、第二にみきわめた後、きちんと実行すること、そして、第三に実行すべきことをすみやかに決断し、やり通すことだ、という。中国・宋時代の宰相らの言行を収めた『宋名臣言行録』にある、陽明学者の張詠の言葉だ。
張詠の言は、裏返せば、施策や方針の決定には十分な調査・分析力、実行力、そして決断力が不可欠との教えだ。リーダーとしての要件とも言える。データを豊富に集め、分析して「現実」を直視する。そのうえで「合理的な解」を選んで実行し、それを断固として「徹底」する。そんな坂根流は、それに合致した。
1941年1月、父が働いていた広島で生まれた。45年6月、空襲を懸念して、父の故郷の島根県浜田市へ疎開する。高校2年のときに母が病気になり、大阪市立大学の附属病院で息をひきとった。何かの縁を感じて、同大学の工学部へ進む。