「神様」の世界にCAD化を提案

<strong>佐々木則夫</strong>●ささき・のりお 1949年、東京都生まれ。72年早稲田大学理工学部機械工学科卒業、東京芝浦電気(株)(現東芝)入社。95年磯子エンジニアリングセンター原子力運転プラント設計部長、2000年原子力事業部原子力技術部長、05年執行役常務、08年取締役代表執行役副社長。09年より現職。
東芝社長 佐々木則夫●ささき・のりお 1949年、東京都生まれ。72年早稲田大学理工学部機械工学科卒業、東京芝浦電気(株)(現東芝)入社。95年磯子エンジニアリングセンター原子力運転プラント設計部長、2000年原子力事業部原子力技術部長、05年執行役常務、08年取締役代表執行役副社長。09年より現職。

何でも、新しいことに挑戦するのが、好きだ。職場でも、何かを始めるとき、だいたいは先導役だった。1989年から90年にかけて、課長で40代を迎えたとき、所属していた原子力事業本部が神奈川県・磯子のエンジニアリングセンターに、コンピューターを利用した設計システム(CAD)を導入した。このときも、言い出したのは、自分だ。

子どものころからの機械好き。コンピューターも、初期のパソコン時代から、使いこなしていた。大学では、卒論で、コンピューターで自動車の特殊な車体構造を解析する。そのためのプログラムソフトも、自分でつくった。そんな具合だから、入社後にも、簡単なCADソフトを手づくりしたことがある。担当する設計分野が増えたころで、忙しさの余り、専門領域ではない分野で間違いをしないようにするためだった。

実は、CAD導入の約3年前、設計部隊は画期的な手法を採用していた。原子力発電所の約10分の1の大きさの精密な模型をプラスチックでつくり、構造の立体的な検証を始めた。改善すべきかどうか考える点があれば、すぐに、実物同様に試すことができる。米国の原発メーカーが、電力会社との確認作業を進めるために使っていた手法だ。

プラスチック・モデルによって、設計は格段にスムーズに進むようになり、費やす日数も縮んだ。それ以前は、配管もダクトも電線も、すべて一枚の大きな図面に書き上げていた。平面図だから、実際に組み立てていく際、上下にうまくつながるのか、配管や電線が交錯するところで不都合がないか、いろいろ懸念が生じる。そんなときは、頭の中ですべてを立体的に描くことができる「設計の神様」が呼ばれた。確認して、「これは無理だな。こっち側に変えろ」となれば、図面を書き直す。

だが、そんな「神様」は、そうはいない。交錯する配管を色分けして書くなど、図面上で工夫はしたが、なかなか誰もが理解しやすい形までにはならない。それが、プラスチック・モデルで、解決した。

原発は、建設場所を確定する立地に10年から20年、全容を固める計画に10年、設計から建設に10年と、運転開始までに30~40年はかかる、とされていた。それが、少しでも短縮できれば、様々なコストが削減できる。プラスチック・モデルに、大きな期待がかかった。だが、始めてみると、いくつもの難点が判明する。

10分の1とはいえ、模型は巨大だ。当時、設計部隊がいた東京・三田のビルでは天井の高さが足らず、入らない。弱り果てたが、磯子にあった工場に空き地をみつけ、大きな建屋をつくって部隊ごと移った。次に、模型をつくり、次々に改修していくのには、それなりの人手がかかる。でも、設計陣に余裕はない。これは、木管工事の経験を持つOBを再雇用し、何とかしのいだ。予想外だったのが、コストだ。改修は一つ一つを、重ねていく。コストを累計したら、100億円単位になった。でも、完成までの年月をかなり短縮できる利点は大きく、目をつぶる。

だが、最後に、もっと大きな難題が出た。原発はすべて立地条件が違うから、同じ模型が使えない。運転後の改修などのために残しておくには、全部を保存しなければならない。膨大なスペースが要り、管理も大変だ。

「CADを、使ってみましょう」――思い切って、提案した。CADは文献で学んだだけではなく、ソフトをつくったこともある。どう使えば最適か、ときに想像力を広げていた。場所はとらないし、改修も立体映像の中で進めることができる。画面でみられるから、誰にでもわかる。設計データも改修記録も、いくらでも記憶させられる。問題は、原発のような巨大で複雑な構造物をこなすソフトがあるのか、だった。

職場に、CAD導入の検討委員会ができた。「コンピューター通」が期待され、メンバーに選ばれた。ところが、米国の提携先も使っていたソフトが、希望条件を十分に満たさない。妥協は嫌いだ。「もっと探そう」と主張し、先輩が米国へ飛ぶ。「これが、よさそうだ」と持ち帰ったのは、軍艦や大きな船に積み込んで使うソフトだった。原発での実績はないが、いろいろと試してみる。使えた。プラスチック・モデルと並行利用しながら、先生役となり、設計部隊にCADを教えていく。やがて、設計コストが劇的に減った。