力を引き出した「プロファイ」の会
会社でも役所でも、部下に「これをやっておけ」と言うだけで、「なぜ、それをやっておくのか」をきちんと説明しない人が少なくない。若いころ、自分にも、そんな上司がいた。「あとは、自分で考えろ」というわけだろうが、乱暴だ。グローバル化が進み、複雑な要素が入り組んで、しかも変化が速くなると、何をやらねばならないかを丁寧に伝えることは、重要だ。
常々、人間には3つのタイプがある、と思っている。誰にも平等に訪れるチャンスに気づかない人、気づいても力が足りずに生かせない人、普段から力を蓄えておきチャンスを生かす人。でも、どのタイプにしても、わかりやすく説明し、学び吸収していく機会を提供してあげれば、多くの場合、隠れていた力を引き出せる。上司の責務は、部下たちの育成が第一。それには、力を発揮しやすい環境を整えてあげることだ。
1992年10月、シカゴ支店長から帰国し、国際業務部長になる。47歳。プロジェクトファイナンス(プロファイ)と呼ぶ、海外の大型開発案件への融資を扱う部門の責任者だ。ほどなく、課長に「プロファイの専門家を育てよう」と持ちかけて、勉強会を立ち上げさせる。毎日、昼休みに30~40分、課長ら先輩が順番に講師を務め、カリフォルニア州の風力・太陽光発電やインドネシアの液化天然ガス(LNG)などのプロジェクトを例に、資金の流れやリスク分析などを解きほどく。「教室」には、部長室を開放した。
部は総勢30人。勉強会に集まるメンバーの中に、女性が1人いた。入行して6年目。86年に男女雇用機会均等法が施行され、翌年採用した女性総合職一期生だ。前号で、ある先輩男性との深い縁について触れた。文末に、昨秋、その先輩と本店のエレベーターで一緒になったときのエピソードも記した。思えば、エレベーターというのは、不思議な縁をもたらす。実は、勉強会に参加した女性総合職一期生との最初の出会いも、エレベーターの中だった。前年、年に1度の部店長会議に出席するため、シカゴから一時帰国した。そのとき、偶然、乗り合わせた。
相手は、こちらのことは、ほとんど知らない。でも、自分のほうは、彼女について、少し知っていた。新人時代の支店勤務から異動し、プロファイの仕事に就いていた。「一期生だ、何とか育ってほしい。プロファイの専門家にでも、なってくれないかな」などと、思っていた。
だから、つい「仕事、楽しい?」と話しかける。相手は、ちょっとびっくりしたようだが、笑顔になって「ええ、楽しいです」と言った。翌年、彼女の上司となる。まさに、前号で紹介した「縁尋機妙(えんじんきみょう)」だ。
シカゴの前に、ニューヨーク支店にいた。日本のバブル経済のピーク時で、「ジャパンマネー」がマンハッタンの由緒あるビルやホテルを買い漁っていた。資金は、日本の銀行が流し込んだ。みた目には、邦銀が米銀を圧倒しているように映る。実態は、全く違う。邦銀は、ただ日本経済の強さを背景に「AAA」という最上級の格付けを受け、低コストで集めた資金が大量にあっただけ。別に、米銀のような高度な金融技術やノウハウがあったわけではない。
「これは、銀行自身の力ではない。日本経済の力が落ちたら、すぐにメッキは剥げる」――そう感じて、早くグローバル金融の専門家を育てたい、との思いを強めた。結果は、予測した通り。日本の株価は89年末に最高値を付けた後、下落の一途をたどる。地価も同様だ。帰国したころ、バブルの崩壊は明白で、銀行も崖っ縁へと追い込まれていく。
プロファイは、規模は小さいとはいえ、大事な収益源だった。戦力の強化は急務だ。女性総合職一期生の彼女にも、東南アジアの発電所プロジェクトを受け持たせてみる。リスクの分析やカバーが難しい案件だったが、一人で企画書を書かせた。
届いた企画書は、背筋を伸ばし、隅から隅まで目を通す。線を引きながら、質問項目を考える。相手がどんなに若くても、精いっぱい力を込めた書類には、きちんと向かい合わないと失礼だ。若いころの「これ、やっておけ」と言うだけの上司の流儀は、嫌だった。自分が味わった思いを、部下にさせたくはない。