日本最大のドヤ街、大阪市西成区あいりん地区には多くの覚せい剤中毒者がいる。そこに住み、『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)を出版した國友公司氏は、「ある覚せい剤中毒者と仲良くなったが、彼は一貫して『覚せい剤だけは絶対にやるな』と言っていた」という――。
朝6時からそわそわしっぱなしの青山さんという男
大学を7年かけて卒業するも、就職できずに無職となった当時25歳の私が流れ着いたのは、日本最大のドヤ街、大阪市西成区あいりん地区だった。取材のためであるならば、覚せい剤に手を出すことも辞さない――そんなことを考えていた当時の若い私であるが、この街で出会った青山という男との出会いにより、その考えを改めることになった。
青山さんとは、西成の飯場で出会った。飯場の労働者たちは早朝起床し、バンに乗り込み、尼崎にある解体現場へと向かう。
「俺そっちのバンに乗りますわ。あっち、中が狭いんですわ。いや後ろの席でええ、タイヤの上でええ。坂本さん(仲間の労働者)と國やんがいる方に乗りますわ。ええでしょ? 問題ないやろ?」
昨日から私のことを“國やん”と呼ぶようになった青山さんの様子がおかしい。何がなんでもそっちのバンに、といった様子で乗り込んできた。
「おお、ええなこのタイヤ! なあ國やん座りやすいよな。坂本さん今日も昨日と同じ仕事やろ? あの現場ええですわ、俺ずっとここがええですわ」
朝6時のテンションではない。そわそわと落ち着きがなく、コンビニ袋をしきりにガサガサ鳴らしている。これがシャブ中ってやつ……? そう考えていると坂本さんが「どうやこれがシャブ中や」といった顔で私のことをニヤニヤと見ている。現場でも青山さんの“居場所探し”は続いた。