「自分はストレートだから非当事者」といえるのか
「確かにストレートではあるんですけど、彼女がたまたま好きになった相手が僕、つまりトランスジェンダーで、いま一緒に家族として暮らしている。そんな中で、彼女もそれにまつわる苦労をたくさん経験しました。その彼女が、非当事者と果たして言えるのかというと、僕の中でも結論出ていません」
【乙武】この言葉、すごく刺さったんですよ。つまり、岸田さんがおっしゃったように、彼は、戸籍上は女性なので、法律上の家族をつくろうと思えば男性としか結婚できない。だけれど、本人は男性として生きているので、同じ戸籍上女性である方をパートナーとして選んだ。だから法律上はいまでも家族にはなれない。
【岸田】でも文野さんは、パートナーの彼女を家族として選んだということですよね。
【乙武】そう。それは、誰の話にもなりうると思うんです。つまり、僕らがこうして生きていれば、今後自分が好きになる、パートナーとして選ぶ相手がトランスジェンダーであることは十分ありえる。自分が築いた家族の子どもがトランスジェンダーである可能性もある。
そう考えると、自分もいつでも当事者になる可能性はあるんだと思いました。だからこれは、「ああ、LGBTの話でしょ」という、遠い誰かの物語じゃなくて、いま言ってくれたように家族の話だし、自分ごとになりうる話だと、文野の話や岸田さんの話を聞いて改めて思ったんですよね。
自分の解釈を多く持っていたほうがいい
【岸田】世の中に、ふわっとした常識のようなものはあると思うんですよ。それが、非当事者の方の話であったりとか、法律婚がどうとか、の話だったりするかもしれないんですけど、やっぱり常識とか慣習にとらわれるとどこかでつらくなります。
私はそのつらさを軽減するために、自分の解釈というのをできるだけ多く持っていたほうがいいと思っています。家族ではないけど、友達だってそうなんですよ。
私、7歳のときに、お父さんがパソコン、しかもMacを買ってきて、「おまえな、学校で友達おらんとか言うてるけど、おまえの友達はこの箱の向こうになんぼでもおる」と言ってくれた。当時パソコンの普及率7%の時代。私はパソコンを電話回線につないで、ローマ字の打ち方とか1個1個調べながら打っていたんです。
お父さんがよく言っていたとおり、私、学校で友達となじめなくて寂しかったんです。でも、チャットをしたら、画面の向こうの人たちがみんな話を聞いてくれて、笑ってくれたんですよ。年齢も違うし、性別も、住んでいるところも違う人たちですよ。
それが衝撃で、学校行ってもちっとも友達としゃべっていても面白くないけど、家に帰ってチャットで相談に乗ってもらったり、趣味の話をしたりするのが楽しかったんです。