過去に親から虐待され、心に傷を受けた人はどうすれば救われるのか。文筆家の古谷経衡氏は、「忘れることは根本的な解決にはならない。名前の改名や、相続放棄宣言、絶縁宣言書の制作などで抵抗するという方法もある」という――。

※本稿は、古谷経衡『毒親と絶縁する』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

自宅の廊下で膝の間に頭をうずめている悲しげな子供
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大学を一〇〇〇万円かけて卒業させてもらったことは幸せなのか

最近「毒親(どくおや)」という造語が流行っている。毒親とは「過干渉や暴言・暴力などで、子供を思い通りに支配したり、自分を優先して子供を構わなかったりする『毒になる親』のことをいう」(NHK「クローズアップ現代+」二〇一九年四月一八日)。まさしく教育虐待とは、この「毒親」にすっぽり包摂される概念である。

過去、あるいは現在においてこの「毒親」の被害に遭っている当事者である子供は、どのようにそれに抵抗したらよいのかを記したい。

筆者は大学を三回の留年の末、七年かかって「卒業させてもらった」。当然この費用は、学費だけで七〇〇万円近くになり、仕送りを含めるとその総額は軽く一〇〇〇万円を超える。

これは厳然たる事実であり、経済苦で大学に通うことができない、あるいは中退せざるをえなかった学生、まして二〇二〇年の新型コロナウイルス禍により、ますますその深刻の度を増した世の中にいて、奨学金返済の義務を負うこともなく大学を卒業した私に対し、「少しぐらい親に感謝したらどうか」という意見があってもおかしくはないと思う。

しかし、これは私の意思ではない。両親の一方的な支配のもと、強制された進路をいやいやながらに私が完結させた結果である。それがいかに私に利益をもたらそうと、当事者である子供の了解を一切得ないで行われたその行為は、「同意を得ていない」という一点においてあらゆる抗弁をもってしても正当化できるものではない。