「親孝行」するに値しない親には、子供は一切感謝する必要ない
ここに懊悩は消し飛ぶ。自らが被害者として正当な権利を有し、加害者が徹頭徹尾間違っていることを理論的に理解できるようになる。そうすれば、自らの子供にも、同じことを強制する愚を犯すことは無くなるだろう。負の連鎖はここで断ち切ることができる。要するに加虐に打ち勝つためには、自らが加害者より賢く、より利口になるより他無いのである。
「親孝行」という言葉が昔からある。子供は親に感謝すべきもので、親が年を取ったなら子供は親に受けた恩を返さなければならないという、家父長制に基づいた封建的な親子関係を規定した言葉だ。私は「親孝行」を否定するつもりは無い。むしろ、「孝行」に値する親であれば、私はいくらでも親に感謝の念を抱くことができるだろう。
しかし世の中には、「親孝行」するに値しない親、というものが存在するという事実はもっと知らされるべきだ。そして「親孝行」するに値しない親には、子供は一切感謝する必要は無く、むしろ自らが受けた被害の回復や謝罪の要求を正当な権利として有しているという事実を、社会が共有することが重要である。
「親子関係はいつも良好」という誤解
親子関係は、常に良い関係性として、つまり良好であるという模範的状況を前提として学校や社会やメディアの中で繰り返し喧伝されている。だが、そうではない親子関係がある、ということはもっと広く認知されるべきだ。親による一方的な支配が子供を苦しめていること、親による一方的な押しつけが子供の精神を破壊する場合があることを、社会はもっと知るべきだと思う。
そうすることで、現在ではほぼ不可能だが、「家庭内での過度で非常識な教育方針」が、第三者の手によって矯正される可能性が開けてくる。ただじっと親からの加虐に耐えている未成年の子供にも、第三者による手助けが積極的に行われるようになるかもしれない。
この分野では日本はまだまだ後進国だ。抵抗の炎を自力で維持するのは膨大なエネルギーがいる。外部の助力を求める選択肢があらゆる子供にもたらされる社会制度の確立を、私は願ってやまない。